太川陽介
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2023年7月23日
基本情報
出生名坪倉 育生
(つぼくら いくお)
生誕 (1959-01-13) 1959年1月13日(65歳)
出身地 日本 京都府京丹後市
学歴日本学園高等学校卒業
ジャンル俳優
タレント
歌手
活動期間1976年 -
事務所サンミュージックプロダクション
公式サイトサンミュージック公式

太川 陽介(たがわ ようすけ、1959年昭和34年〉1月13日 - )は、日本俳優タレント司会者YouTuber、元アイドル歌手京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身。サンミュージックプロダクション所属。妻は女優の藤吉久美子
来歴・人物

1975年に公開された桜田淳子主演映画『スプーン一杯の幸せ』の相手役オーディションに応募するも、そのときすでに締め切りを過ぎていたため選外となった。しかし、その履歴書がスタッフの目に留まったことが芸能界デビューのきっかけとなった[1]。上京にあたり、京都府立峰山高等学校から日本学園高等学校へ転校[2]

1976年、「陽だまりの中で」でレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」。芸名は都倉俊一によるものといわれているが、実はサンミュージックプロダクション創業者の相澤社長が決めたもので、「太陽という文字を入れてみました」とのことで[1]、「介」は文字の形が末広がりで縁起がいいと思ったからということである[1]「ルイルイ」のジェスチャー

1977年、3曲目の「Lui-Lui」が太川自身最大のヒット曲となり、同年暮れの第19回日本レコード大賞をはじめ、各音楽大賞の新人賞を総なめにした。歌詞の最後で「Lui-Lui(ルイルイ)!」と叫ぶポーズが、太川のトレードマークとなっている。1979年よりNHK総合レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、昭和50年代を代表するアイドルであった。明るい曲調でヒットした「Lui-Lui」の次の曲が硬派路線の「Cry Cry Cry」だった。太川は「ルイルイの後はクライを三連発する曲となったけど、本当はB面の方が明るい曲でそちらを歌いたかった」と語ったことがある。

その後、アイドル歌手から主にタレント・司会者・俳優業に転向、1989年のミュージカル『エニシング・ゴーズ』に起用されたこと[3]がきっかけで舞台俳優として頭角を現す。舞台版の『細雪』では1998年より「啓坊」こと奥畑啓三郎役を演じている。もともとアイドルとしては茶目っ気や庶民性を前面に出すタイプであったこともあり、ホームドラマやコメディに適した俳優としてNHKなどでは特に厚遇された。ラジオパーソナリティ、旅番組などでも幅広く活動している。

1995年、女優の藤吉久美子と結婚(太川は初婚だったが藤吉は再婚)。2001年には長男が誕生した。芸能界のおしどり夫婦として有名で、なれそめは1994年にNHK大阪で藤山直美主演のドラマ新銀河『大阪で生まれた女やさかい』の撮影で共演したことだった。撮影終了後に新大阪駅に向かうタクシーで相乗りし、そのまま新幹線で東京まで一緒に帰り食事をして交際につながった。ちなみに前述のドラマでは、二人が一緒に出てくるシーンは一度しかなかった。また、それ以前はお互い顔と名前を知る程度で特に面識はなかったという[4]

2007年10月から2017年1月まで蛭子能収とともに『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に出演していた。太川のリーダーシップと計画性、さらにはチームメンバーに対する細やかな気遣いには定評があった。なかでも正反対の性格である蛭子とのやりとりが好評で、ベストコンビといわれていた。このことは業界でも高く評価されており、水道橋博士は「蛭子さんを扱えるのは太川さんだけ」「自分たちの中で太川さんの何が凄いかといったら、蛭子さんと3泊4日一緒に過ごせること。なおかつ番組として成立させられてしまうのだから本当に凄い」と、評価していた。これは問題行動や問題発言をよく繰り返す蛭子にうまく対処できない人が多いからであった(だからといって、それでも常に蛭子をコントロールできていたというわけではなく、道中で蛭子の心無い一言に激怒して感情的になったりしていた[5] のは日常茶飯事)。

ぶらり途中下車の旅」の旅人としても長く活躍しており、旅番組のイメージが強い[6]。また、近年では旅番組にかぎらず太川が出演すると視聴率が跳ね上がることが多く、業界内では「太川は何かを持っている」という評価をもたれているとされる[7]

実家は丹後ちりめんの卸販売をしている株式会社つぼりゅう[1]。香川県高松市に叔母がいる。

2017年6月27日、「京丹後市観光大使」に就任[8]

2017年12月14日、妻で女優の藤吉と大阪・朝日放送の50歳代既婚男性プロデューサーとのダブル不倫疑惑を報じられ、謝罪会見を行った[9]

「ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅」シリーズでは、太川(バス)チームのリーダーを務める。
ディスコグラフィ
シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
ビクター
11976年
12月20日A面陽だまりの中でいではく穂口雄右SV-6140
B面握手でグッバイ樹里久美
21977年
4月5日A面南風石原信一穂口雄右高田弘SV-6197
B面きみにときめきすぎて
31977年
7月5日A面Lui-Lui都倉俊一SV-6253
B面銀の糸
41977年
10月25日A面Cry Cry Cry杉山政美都倉俊一田辺信一SV-6307
B面恋の五線紙都倉俊一
51978年
2月5日A面もって行け思い出中村泰士高田弘SV-6362
B面春にふられて森雪之丞小笠原寛
61978年
4月25日A面ヨーヨー杉山政美筒美京平船山基紀SV-6404
B面ドクター・ラブ
71978年
7月5日A面ぼくの姉さん上條恒彦桑原研郎高田弘SV-6448
B面君に夢中さ馬場孝幸
81978年
8月25日A面それはないよお嬢さん杉山政美筒美京平船山基紀SV-6463
B面秋風によろしく
91979年
2月5日A面ビーナス・イン・ブルージン山川啓介馬飼野康二SV-6544
B面さらば愛しき女よ
101979年
5月25日A面ムーンライト・カーニバル森雪之丞平尾昌晃あかのたちおSV-6589
B面SOLO SOLO三浦徳子梅垣達志
111979年
10月25日A面走れ!江の電藤公之介小笠原寛SV-6642
B面コンサートのあとで保富康午岩久茂松井忠重
121980年
2月21日A面おとぎ話太川陽介福留順一SV-6690
B面母恋歌荒木とよひさ小笠原寛
131980年
5月21日A面心の翼小椋佳戸塚修SV-7001
B面止してもらいたい青木望
141981年
4月21日A面そこに微笑みが太川陽介馬場孝幸松井忠重SV-7108
B面静かな夜窪田万梨こすぎやすお
ワーナー・パイオニア


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