王氏(おうし、わんし)は 王
中国などにおける氏族の一つ。新を建てた王莽の一族の他、前漢から後漢末?三国時代の貴族・琅邪王氏[1]と太原王氏[2]、高麗の王族(開城王氏)などが特に知られる。1392年に高麗の有力兵士である李成桂が高麗を滅ぼし、李氏朝鮮を建国以降、旧王族関係者だとして朝鮮半島内で撲滅対象にされていた。
日本における王氏は諸王の集団であり、令制では二世から四世まで(後に五世)までの皇族を範囲としていた。
中国の王氏
各種表記
繁体字:王
簡体字:王
?音:Wang
注音符号:???
ラテン字:Wang
広東語発音:Wong4
上海語発音:Waon1
台湾語白話字:Ong
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広東語や呉語で「黄」と同音であるため、「横3本の王」「画数3の王」などと呼ぶことが多い。特に「黄」が2番目に多い名字である広東語圏では「黄」と勘違いされることが多い。 秦の将軍王離の長子の王元の末裔といわれる王吉を祖とし琅邪郡臨沂県を本貫とする。太原王氏は同族にあたると伝わる[13]。
起源
姫姓王氏
琅邪王氏、太原王氏などの始祖は東周霊王の太子・姫晋とされる。[8]姫晋は王位継承前に死去(『春秋左氏伝』)、あるいは廃され(『新唐書』)[9]、王位は弟の姫貴(景王)が継承した。姫晋の子孫の家は「王家」と呼ばれ、その呼称が氏になったと伝える。この系統が最も著名であるが、別に周の文王の第十五子畢公高や、戦国時代の信陵君の末裔も王家の末裔であるから王氏を称したと言う。[10]
子姓王氏
殷の王族の一門である。汲郡の王氏は比干の末裔だという。[11]
?姓王氏
舜の子孫である。北海王氏・陳留王氏がこれであるという。[12]
他
魏晋南北朝時代以降に漢化した異民族出身者が名乗り始めた例も多く、完顔氏からの改姓の例などが知られている。
琅邪王氏
王吉 王吉 ┃ 王駿 ┃ 王崇 ┃ 王遵