天草五橋
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年10月)
国道266号標識国道324号標識

天草五橋
天門橋(大矢野島側から撮影)
基本情報
日本
所在地熊本県天草市
交差物件有明海
建設1966年
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度32分13.2秒 東経130度25分23.3秒 / 北緯32.537000度 東経130.423139度 / 32.537000; 130.423139
構造諸元
全長502 m(一号橋(天門橋))
249 m(二号橋(大矢野橋))
361 m(三号橋(中の橋))
510 m(四号橋(前島橋))
178 m(五号橋(松島橋))
幅8.3 m(一号橋)
8 m(二号橋 - 五号橋)
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

天草五橋(あまくさごきょう)は、熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島大矢野島永浦島、池島、前島を経て天草上島までを5つの橋で結ぶ宇城市から上天草市にかけての連絡道路である[1]1966年(昭和41年)9月24日に開通した。
概要

国道57号の五橋入口交差点から宇城市三角町で分岐して上天草市大矢野町飛岳へ第一号橋(天門橋)で渡り、登立・江後を経て大矢野島を縦断し、第二号橋(大矢野橋)で満越から永浦島、第三号橋(中の橋)で池島、第四号橋(前島橋)で前島へと経て、第五号橋(松島橋)で松島町会津へと至る総延長17.4 kmの区間である[1]。天草五橋は当初は償還期間39年を見込んだ有料道路であったが、開通により天草への観光客が急増し、モータリゼーションの進展なども含めた交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化された。

一号橋から五号橋の間の国道266号および路線に重複する国道324号の約15 kmのルートは[2]、天草で真珠の養殖が盛んなことから天草パールラインと名付けられ[1]、1987年(昭和62年)8月10日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている[3]

また、大矢野島から上島までの間3 km足らずは小さな島づたいで、二号橋・三号橋・四号橋・五号橋がほぼ連続している。その間の両側の海に大小さまざまな島が浮かぶ風景は、天草松島と呼ばれ日本三大松島の1つに数えられる。
各橋梁

名称区間橋梁全長 (m)構造径間数最大支間長 (m)幅員 (m)施工備考
有効(車道)(歩道左/右)
一号橋
天門橋九州 - 大矢野島502連続トラス橋33008.36.00.8 / 0.7上部:横河橋梁製作所
下部:西松建設
二号橋大矢野橋大矢野島 - 永浦島249.10ランガートラス橋31568.05.80.7 / 0.7上部:日本橋梁
下部:大林組
三号橋中の橋永浦島 - 池島361PCラーメン橋31608.05.80.7 / 0.7住友建設
四号橋前島橋池島 - 前島510.20PCラーメン箱桁橋51468.05.80.7 / 0.7鹿島建設
五号橋松島橋前島 - 天草上島177.70パイプアーチ橋31268.05.70.8 / 0.8上部:川崎重工業
下部:星野土木

[4]
歴史@media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit}

現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。
天草五橋の位置(クリックで拡大)一号橋(天門橋)と三角ノ瀬戸、三角港付近の空中写真。1974年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。4つの橋が連続する二号橋から五号橋付近の空中写真。1974年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

熊本県の属する天草諸島は、古くから水産や鉱産などの地理的天然資源に恵まれ、入江で行なわれる真珠の養殖や、農業環境に適した島嶼群であったが、九州本土の都市圏に接近していながら、離島に共通する問題となっている道路による交通輸送が不可能という条件のために、発展が阻害された後進地という悩みを抱えていた[5]

1936年(昭和11年)、大矢野島の西方沖合に位置し島原湾に浮かぶ湯島の出身で熊本県議会議員を務めた森慈秀は、背中に家紋をあしらったモーニングスーツを羽織って、県議会の席上で「天草に橋をかけよう」と発言した[5]。当時の日本の架橋技術は、天草諸島に橋を架けるほどの技術力はなく、森の発言を実現することは到底不可能で「ほら吹きの誇大妄想狂」のレッテルを貼られる始末であった[1]。吾が郷土天草は、四面海を繞らし、面積八八四、九平方粁、人口二四万人を有する全国有数の一大島嶼群であります。島内は天與の資源に恵まれ、年間五八五万貫の水産物を誇る東支那海の宝庫を控え、林産、農産物を始めとして、二億トンの無煙炭、陶石など豊富な地下資源を産することは余りにも有名であり、一方、気候温和にして風光明媚、キリシタン殉教の地として、その遺跡は数多く、阿蘇、霧島、雲仙国立公園の中心に位し、国際観光ルートとしてもその使命は重大であります。

 然るに、かかる物的資源を有しながら船便による輸送の制約をもつ離島であるために産業、経済、文化、教育等あらゆる面に於いて退歩を余儀なくされ、天与の資源も美観、景観も広く天下に利用されないことは独り島民の不幸ばかりでなく、国家的損失であると申さねばなりません。 この離島の後進性を除去し、進んで島内資源を開発し、文化の向上を計るには地勢的に本土との架橋を実現せしめることが最も喫緊の捷路であります。このことは先覚者によって凡に二十数年前から唱えられ、将に「夢の架橋」としてこれが実現を期した所以も実にここにあります。 この架橋の実現の上には、資源の開発は勿論、人員、物資輸送のスピードアップ等その寄与する経済効果は大なるものがあり、天下の絶景、天草松島を眼下に雄大な雲仙を望見してのドライブは将に世紀の一大偉観であり、観光客の増加及びその消費する金額も現在に数十倍することは必定であります。 特に本架橋は県の有料橋として架設し三〇年の償還により初めて天下の公道となるものであります。 かかる大事業を完遂するには長年の月日と巨額の経費を要し、然も巧緻なる設計と綿密なる計画と更にたゆまざる努力とを必要とするものでありますが、吾々二四万島民、広く総力を結集して天草架橋期成会を成立せんとするものであります。 ? 天草架橋期成会設立趣意書[6]

四半世紀を経て、森の描いた架橋の夢の実現への執念はやがて実を結ぶこととなり、1961年(昭和36年)に天草五橋の着工は決定された[1]。1962年(昭和37年)8月に着工され、当時32億円の事業費を投じて4年の歳月を費やす大事業で、1966年(昭和41年)9月に天草五橋が完成した[1]

天草五橋の開通によって、天草島における生活、産業、すべてが変化した。『新・天草学』[7]によると、それを次の21項目に分けて詳説している。
船の衰退

経済圏

道路

人口


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:58 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef