天秤棒(てんびんぼう、英語:carrying pole、shoulder pole)とは、第一義に、両端に重量物をぶら下げたり、たくさんの軽量物を取り付けたりして、肩に担いで運搬することを目的に作られた棒。天秤と同様、平衡を保ちやすいように作られている。極めて古い時代から全世界に見られる人力運搬用の民具である。
天秤や天秤状の物の横棒は、天秤棒と呼ばれることも多い(後述)。このほか、てこの原理を利用した単純機械である「天秤押し」の、天秤状の部分、すなわち、支点・作用点・力点を持つ部品としての長い棒の呼び名でもある(後述)。 水桶[2]や下肥・土砂などといった物の運ぶ一般的使用法のほか、行商やその他の業者が商品や客の品(例:洗濯物)を運ぶ道具として用いる。進行方向に対して平行に担ぐ方法と、首の後ろで左右に渡して垂直に担いで、バランスをとるために手を添える方法がある。 現代でも中国文化圏(中華人民共和国、台湾ほか)や東南アジア、アフリカなどでは用具として使われている。中国では重慶などの都市部でも狭い路地や段差が多く車の入れない地域が多かったため、天秤棒で荷物を運ぶ『棒棒』と呼ばれる運搬人が長らく存在したが、再開発により少なくなっている[3]。 天秤棒は棒の中心を肩に担いで用いるもので、棒の両端には桶や籠(かご)、畚(ふご)などの容器が取り付けられている[4]。籠を付けた代表的なものに担苗篭(かつぎなえかご)がある[5]。 尺貫法を用いていた時代の日本では、長さ6尺(約182cm)の棒は、棒術や捕縛術、その他諸々の用途の別無く、総じて六尺棒(ろくしゃくぼう)と呼ばれていたが、天秤棒もこの長さ6尺の棒を使っていたことから別名で六尺棒とも呼ばれていた。 江戸時代を中心に日本全国で精力的に活動した近江商人は、近江特産の呉服・反物などを天秤棒で担いで販路を広げる他国稼ぎの行商人であった[8][9]。大坂商人(大阪商人)および伊勢商人と共に日本三大商人の一つに数えられる[10]近江商人は、店舗を構えての商売を基本とする前2者とは異なり、開拓者精神と「三方よし」という商業理念[* 1][11][12]を持って足で稼ぐ人々であり、富を蓄えて大店を構えても天秤棒を肩に行商する商法から離れないことを特徴とした[13]。「天秤棒一本で財を成す」という言い回しや、近江商人に由来の慣用句「近江の千両天秤」(天秤棒一本あれば行商をして千両を稼ぎ、財を成すという、近江商人の商魂の逞しさと表すと同時に、千両を稼いでも行商をやめず、初心を忘れることなく商売に励むという教訓が籠められている)[14]があるように、今も昔も近江商人にとってそれが歴史的・精神的の原点となっている[13]。近江国(現・滋賀県)の湖東地方中部にあって中仙道の要衝でもあった五個荘(旧・五箇荘、旧・神崎郡五個荘町、現・東近江市五個荘地区)は近江商人のうち五箇商人などの出身地であるが[8][9]、「てんびんの里」をキャッチコピーとしており[15]、五個荘竜田町には近江商人博物館 中国生まれの麺料理である「担担麺」の名は、元々は天秤棒にぶら提げて担いで売り歩いたこと、および、発祥地である成都の方言で天秤棒を「擔
運搬用の天秤棒
容器
六尺棒
天秤棒一本で財を成す
担担麺と担仔麺