天神流通戦争(てんじんりゅうつうせんそう)は、福岡県福岡市中央区天神地区における各種商業施設の激しい競争状況を、特に大型店の出店や撤退の動きに注目して言い表す表現。この表現は、おおむね1970年代以降の現象を指す。福岡市圏では単に流通戦争、小売り戦争として言及されることもある[1]。
また、福岡市博多地区へのJR博多シティの進出に伴い、天神中心の状況に変化がおとずれたため、福岡流通戦争のように表現するマスメディアもある。[2] いわゆる天神流通戦争以前から、西鉄のターミナル西鉄福岡(天神)駅(1924年、「福岡駅」として開業)を中心として商業施設の集積があった。百貨店では、いち早く1932年に、松屋百貨店が、後のマツヤレディスの場所に開店した[3]。続いて、岩田屋が1936年に本館を開店させ、戦後になると高度経済成長期の1950年代から1960年代にかけて、増築を重ねて規模を拡大した[4]。 1971年6月15日、天神4丁目に、売り場面積が2万平方メートル近い、大規模スーパーマーケットとしてダイエーショッパーズ福岡店(名称は時期により変化している)が開業した[5]。1975年、博多大丸が西日本新聞会館に大丸福岡天神店を開店し、翌1976年には、天神地下街が整備され[6]、ファッションビルの天神コア、天神第1名店ビルのニチイ天神店(天神ビブレの前身)が開業し、さらに岩田屋新館が開店した[4]。この1975年から1976年の動きが、後に「第1次天神流通戦争」と呼ばれるようになった[7][8]。 きっかけとなったのは、1980年代から1990年代にかけて進んだ西鉄福岡駅の再開発計画であった[7]。 1989年、ベスト電器が「九州の秋葉原」を目指すとして取り組んだ、売り場面積およそ5千平方メートルの大型電器店ユーテクプラザ天神[9] を国道202号(国体道路)を超えた天神地区の南側に開店し(後の天神ロフトビル)[10]、ファッションビルのソラリアプラザ、イムズが開業した[4]。短期間のうちに大型店の開業が集中したこの時期の状況は、「第2次天神流通戦争」と呼ばれた[7]。 新設された施設が天神地区の南側に偏っていたことから、客足の変化が生じるものとも予想されたが、北側のダイエーショッパーズ福岡店が、1989年には売上の前年比6%増を見込むなど、天神全体として商圏拡大の恩恵を受けることとなった[11]。やはり北側に位置する岩田屋も「売れ行きは順調」と報じられ[11]、2次にわたる天神流通戦争を通して、岩田屋は地域一番店としての地位を確保していた[10]。 この時期には天神の商圏の拡大を象徴する現象として、週末に特急かもめを利用して天神での買い物に来福する長崎県などの女性たちを指す[12]「かもめ族」[8] や、同様に熊本県などからの来訪者を指す「つばめ族」[13]、さらには「有明族」、「フェニックス族」などの表現が生まれた[14]。 第2次天神流通戦争後、バブル経済の崩壊を受けて、各方面からの大型店出店の動きはしばらく沈静化していたが、福岡三越の進出計画を契機に、再び新規の出店が集中することとなった[8]。 1996年、一足早く岩田屋が若者向けの店舗Zサイド(ジーサイド)を開店、翌1997年には博多大丸が福岡・天神店東館エルガーラを開店し、福岡三越がソラリアターミナルビルに核店舗として出店して、再び百貨店間の競争が激化したことを「第3次天神流通戦争」と呼ぶが[4][15]、実際には計画段階から、商戦の激化を予想して、この表現が用いられていた[7]。
前史
第1次天神流通戦争(1971年?1976年)
第2次天神流通戦争(1989年)
第3次天神流通戦争(1996年?1999年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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