この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "天知茂"
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年4月)
あまち しげる
天知 茂
(左)天知茂、(右)小畠絹子 1967年頃
本名臼井 登
別名義宇寿木 純(ペンネーム)
臼井 暢浩
生年月日 (1931-03-04) 1931年3月4日
没年月日 (1985-07-27) 1985年7月27日(54歳没)
出生地 日本、愛知県名古屋市
死没地 日本、東京都渋谷区
血液型B型
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1951年 - 1985年
主な作品
映画
『憲兵と幽霊』/『女吸血鬼』
『東海道四谷怪談』/『地獄』
『座頭市物語』/『犬シリーズ』
『眠狂四郎無頼剣』/『君は海を見たか』
『白昼の死角』テレビドラマ
『孤独の賭け』/『ローンウルフ 一匹狼』
『非情のライセンス』シリーズ
『江戸川乱歩の美女シリーズ』(全25作)
『雲霧仁左衛門』/『江戸の牙』
『闇を斬れ』
『地獄の左門十手無頼帖』(全4作)
『大岡越前』(1?3部)演劇
『黒蜥蜴』/ 『名探偵・明智小五郎』
テンプレートを表示
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。仕出しやちょい役が続いたが、1954年、蟻プロ制作の低予算映画『恐怖のカービン銃』で初主演。その後も脇役ばかりであったが、大蔵貢が社長に就任すると、経費削減の為、給料の高いスター級の俳優とは契約を打ち切り、脇役俳優に役が回ってきた。1957年(昭和32年)、『暁の非常線』で2度目の主演。悪役俳優として注目されるようになったが、当人は二枚目役を望んでいたので不満だった。1959年、映画『東海道四谷怪談』で監督の中川信夫より民谷伊右衛門役に抜擢され、迫真の演技力により注目される。以後、1961年まで多くの主演作が作られるようになる。労働組合委員長として新東宝倒産まで在籍した。 1961年、大映と本数契約。時代劇を中心に準主演級で1971年の大映倒産まで活躍。『座頭市物語』の平手造酒役での個性的な演技で頭角をあらわし、田宮二郎主演の犬シリーズではコミカルなショボクレ刑事役をこなした。伊藤大輔脚本・三隅研次監督・伊福部昭音楽の『眠狂四郎無頼剣』(シリーズ第8作)では、狂四郎の敵役として対等の存在感を見せた。 1964年以降は兄貴分の鶴田浩二のいる東映の任侠映画でも準主演級で活躍。次第に役域を広げる機会に恵まれ、1968年には三島由紀夫の依頼により、美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』(原作は江戸川乱歩、脚色は三島)で明智小五郎役を演じ、これが当たり役となる。 1966年に「A&Aプロダクション」を設立し独立(後にアマチプロゼに改称)。弓恵子[1]、北町嘉朗、岡部正純、宮口二郎、池田駿介、堀之紀、山崎純資などの俳優が所属していた。ニヒルな渋さを漂わせた個性派俳優としてハードボイルドの代表的スターの一人となり、かつてとは逆に、刑事など社会正義派的な役どころがはまり役となっていく。テレビ朝日系で放送された『非情のライセンス』や、土曜ワイド劇場で連続放映された『江戸川乱歩の美女シリーズ』は人気のシリーズとなった。また、『非情のライセンス』では主題歌「昭和ブルース」をヒットさせた。 テレビ時代劇においても、主演および主要脇役として活躍。『雲霧仁左衛門』『無宿侍』『江戸の牙』『闇を斬れ』『地獄の左門十手無頼帖』など連続ドラマやシリーズ物の主演多数、TBS系高視聴率番組『大岡越前』では与力・神山左門役で存在感を示した。
来歴