天皇賞
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この項目では、天皇賞全般について説明しています。春に京都競馬場で3200mで行われる競走については「天皇賞(春)」を、秋に東京競馬場で2000mで行われる競走については「天皇賞(秋)」をご覧ください。
ゴール前の直線(第135回天皇賞(春))ゴールの瞬間(第138回天皇賞(秋))天皇賞の前身とされる「エンペラーズカップ」が行われていた横浜競馬場(・根岸森林公園、根岸競馬記念公苑)帝室御賞典(春)が第12回まで行われていた旧阪神(鳴尾)競馬場(現在:武庫川女子大学附属中学校・高等学校芸術館)

天皇賞(てんのうしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が春・秋に年2回施行する中央競馬重賞競走GI)である。春は京都競馬場で「天皇賞(春)」(通称:春天)、秋は東京競馬場で「天皇賞(秋)」(通称:秋天)の表記(通称についてはJRAの過去成績掲載ページのURLにも使用されている)で施行されている。記事内ではそれぞれ「天皇賞(春)」または「春の競走」、「天皇賞(秋)」または「秋の競走」と表記する。

第1回とされる「帝室御賞典」は1937年(昭和12年)に行われているが、JRAが前身としている「The Emperor's Cup(エンペラーズカップ)」までさかのぼると1905年(明治38年)に起源を持ち[1]、日本で施行される競馬の競走では最高の格付けとなるGIの中でも、長い歴史と伝統を持つ競走である[1]。現在は賞金のほか、優勝賞品として皇室から楯が下賜されており、天皇賞を「盾」と通称することもある[2][3]
歴史

天皇賞のルーツをたどると、1905年(明治38年)5月6日に根岸(横浜)競馬場で創設されたThe Emperor's Cup(エンペラーズカップ[注 1])や、明治初期のMikado's Vaseにまでさかのぼることができる[4][5]。これらの競走が誕生した背景には、当時の日本が直面していた外交問題が強く影響している(後述)。エンペラーズカップはのちに「帝室御賞典」の名称で定着し、明治末期から1937年(昭和12年)まで日本各地で年に10回行われていた[4]

一方、施行距離や競走条件は1911年(明治44年)から1937年(昭和12年)まで行われていた「優勝内国産馬連合競走」をおおむね継承している。この競走は年2回、3,200メートルの距離で行われ、各馬等しい条件で日本のチャンピオンを決め、日本一の賞金を与える競走だった。

これらを統合して始まったのが1937年(昭和12年)秋の帝室御賞典で、日本中央競馬会(JRA)ではこれを天皇賞の第1回としている[1]。「帝室御賞典」は戦局悪化のため1944年(昭和19年)秋に中止され、終戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名称で再開、同年秋から「天皇賞」と改称され現在に至っている[1]

1937年(昭和12年)以来「古馬の最高峰」として位置づけられた天皇賞は長らく番組体系の中心に据えられ、旧八大競走にも含まれるなど、その地位を保ち続けた[6]。1着賞金も東京優駿(日本ダービー)などとともに国内最高クラスの競走[注 2]だった。のちに有馬記念ジャパンカップが創設され、やがて国内最高賞金はジャパンカップが上回るものの、2020年現在も天皇賞は、ジャパンカップ、東京優駿(日本ダービー)、有馬記念に次ぐ高額賞金競走である[7]

1980年代以降に進められたさまざまな制度改革、賞金や競走条件の変遷を経てもなお、天皇賞は日本国内で現存する競馬の競走としてもっとも長い歴史と伝統を持ち、重要な競走のひとつに位置づけられている。

春の競走と秋の競走は開催地など競走条件が異なるものの同じ「天皇賞」であり、施行回数は春→秋と施行順に加算している。同一の競走名で1年に複数回施行する競走は、現在の中央競馬で本競走のみである[注 3]
用語の解説
競走条件:当該競走に出走できる馬の条件(クラス分けなど)を定めたもの[8]。馬齢・負担重量・施行コース・距離が含まれる場合がある(現在の競走条件は各競走記事を参照)。馬齢:馬の年齢。実際の誕生日に関わらず、1月1日になると一律に1歳加算される。日本では2001年(平成13年)から国際基準に合わせた現行表記が採用され、満年齢(生まれたばかりの馬は0歳)で表記。2000年(平成12年)までは数え年(生まれたばかりの馬は1歳)で表記していた[9]。記事内の本文では年代にあわせて旧表記と現行表記を使い分けているが、春・秋の競走記事内「歴代優勝馬」一覧表ではすべて現行表記に揃えている。負担重量(斤量):出走馬が背負う重量のこと。騎手の体重のほか、鞍などの馬具も含まれ、出走する各馬ごとに所定の条件のもと定められる。初期の競馬では「(0.6キロ)」を重さの単位としていたことから、「斤量(きんりょう)」とも呼ばれる[10]。古馬:4歳(旧馬齢表記では5歳)以上の馬を指す[11]。一般的に中央競馬の競走馬は2歳の夏から順次デビューし、同世代の馬と競いあいながら翌年(3歳時)の東京優駿(日本ダービー)をまず大目標とする。ダービー後、次の2歳馬がデビューする時期になると、3歳馬は年上の古馬と一緒にレースをするようになる。番組(競馬番組):日本の競馬は当該競馬場における1開催(現在の中央競馬は原則として4日 - 12日)をひとつの単位としており、施行する競走は開催ごとに定められている。同一開催で組まれる競走の割り当てを「競馬番組(または単に番組)」と呼んでいる[8]
起源競馬を観戦する明治天皇
1884年(明治17年)、上野不忍池競馬クロード・マクドナルド


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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