天災は忘れた頃にやってくる
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天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)とは、自然災害はその被害を忘れたときに再び起こるものだという戒め[1]。「天災は忘れられたる頃来る[2]」、「天災は忘れた頃来る[3]」、「天災は忘れられた頃に来る[4]」などとも記述される。また、上記の「天災」の箇所は「災害」と書かれることもある[5]。科学者で随筆家の寺田寅彦による言葉[6]
寅彦と防災 寺田寅彦

寺田寅彦は研究者として火災地震などの災害に関心を持っていたが、1923年関東大震災発生後は、これまで以上に深い関心を示すようになった[7]。地震発生時、上野二科展会場にいた寅彦は、自分のいる建物の無事を確認すると、「此珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しよう」と、その場に留まり、建物の様子などを観察した[8][9]。続いて東京市内の焼け跡を回り、地震被害を調べた[10]

寅彦はその後、防災についての随筆を多く残した。1933年に発表した『津浪と人間』では、津波は定期的に起きるものでそのことは十年も二十年も前から警告しているという学者の主張と、二十年も前の事など覚えていられないという被害者の主張を取り上げ、「これらはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである[11]」と論じた。そして、こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう[12]

と述べた。

1934年には、寅彦の代表的な随筆ともいわれる[3]「天災と国防」を発表した。ここでは、同年に発生した函館大火手取川決壊による水害室戸台風による被害を取り上げた。そして、文明が進むほど自然災害の被害が増大することを指摘し[13]、その上で以下のように記した。文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければならないはずであるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。その主なる原因は、畢竟そういう天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の?覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう[14]

寅彦は、その後に書かれた随筆でも防災について記述し、天災による被害を忘れることへの危険性を訴えた。しかし、寅彦の随筆の中には、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は無い。ただし、寅彦の弟子であった科学者の中谷宇吉郎藤岡由夫によれば、寅彦は生前このような言葉をしばしば口にしていたとのことである[3][7]
中谷宇吉郎らによる拡散 中谷宇吉郎

中谷宇吉郎は、寅彦死後の1938年朝日新聞に「天災」と題する文章を発表した[注釈 1][15]。そしてこの中で、以下のように綴った。天災は忘れた頃に来る。之は寺田寅彦先生が、防災科学を説く時にいつも使われた言葉である。そして之は名言である[16]

この中谷の記事が、この言葉が文字として記載された初めての例であると考えられている[5]。ただしこの時点で中谷は、この言葉は寅彦が書いた文章の中にも記載されていると思い込んでいた[3]

その後、「天災は忘れた頃に来る」という言葉は随所で引用されることとなった[17]1944年には、朝日新聞が毎日1つの言葉を紙面で取り上げる欄を設け、そして9月1日の言葉に「天災は忘れられた頃に来る」を選んだ[4][17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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