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中華人民共和国 天津市
上から時計回り: 津湾広場
中華人民共和国中の天津市の位置
中心座標 北緯39度08分 東経117度12分 / 北緯39.133度 東経117.200度 / 39.133; 117.200
簡体字天津
繁体字天津
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国家 中華人民共和国
行政級別直轄市
政府所在地和平区
設立1404年
市委書記李鴻忠(第19期中国共産党中央政治局委員、前湖北省党委書記、元深?市党委書記)
市長張国清(代行)
面積
総面積11,760 km²
人口
総人口(2007)1,115 万人
人口密度861 人/km²
市区人口(2008)506 万人
経済
GDP(2008)6354.4 億元
一人あたりGDP55,473元
電話番号022
郵便番号300000/301000
ナンバープレート津A, B, C, D, F, G, H
津E (タクシー)
行政区画代碼120000
市樹絨毛白?
市花月季
2005年のHDIは 0.855。
公式ウェブサイト: ⇒http://www.tj.gov.cn/ (中国語)
天津市(てんしんし/テンチンし、簡体字: 天津市、?音: Ti?nj?n、英語: Tianjin)は、中華人民共和国に位置する直轄市。国家中心都市の一つ。略称は津。
天津は華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。
環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、0.5?2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである。2017年の第13期の全国体育大会の開催が決まっており、夏季ダボスフォーラム常駐開催都市でもある。
市区人口は506万人、都市圏人口は720万人。 天津は隋代に大運河が開通し、南運河と北運河の交差地点の三会海口(現在の金鋼橋三岔河口)がその発祥である。中唐以降は南方からの食糧輸送基地となり、金代には直沽寨、元代には海津鎮が設置され、食糧輸送以外にも軍事拠点としての要衝とされた。 1400年(建文2年)、朱棣が兵を率いて南下、皇位を簒奪すると、皇帝が河を渡った場所を意味する天津の地名が初めて登場した。1404年(永楽2年)、軍事基地としての衛が設置され、翌年には天津左衛が、更に2年後には天津右衛が設置された。清代の1652年(順治9年)に三衛が統合され天津衛とされ、1725年(雍正3年)に天津州、1731年(雍正9年)に天津府と改称され、天津府の下部に天津県、静海県、青県、南皮県、塩山県、慶雲県、滄州を管轄した。清末には天津は直隷総督の駐在地とされ、李鴻章や袁世凱による洋務派の拠点となった。 1858年(咸豊8年)、アロー戦争(第2次アヘン戦争)で英仏連合軍に敗北し、天津条約が締結された。次いで締結した北京条約で1860年(咸豊10年)に天津は開港され、以後北京の外港として急速な発展を見た。このため19世紀後半から20世紀前半にかけて、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ベルギー、イタリア、ロシア、日本が相次いで租界を設置し、中国で最も租界の数が多い都市となった。1900年(光緒26年)義和団の乱では8カ国連合軍が天津より上陸し、北京を占拠している。 中華民国が成立すると1927年(民国16年)に天津市に昇格、その後の日中戦争では1937年(民国26年)より1945年(民国34年)まで、イタリア租界を除き汪兆銘政権と日本軍により統治され、またイタリア軍のイタリア極東艦隊が拠点を置き日本とともに戦った。 戦後はアメリカ軍が駐留したものの、1949年に中華人民共和国が成立すると天津は直轄市に指定され、中華人民共和国の工業及び貿易の拠点として発展し現在に至っている。
目次
1 歴史
2 行政区画
2.1 年表
2.1.1 天津市(第1次)
2.1.2 河北省天津専区(1949年-1958年)
2.1.3 河北省天津市
2.1.4 河北省天津地区(1961年-1973年)
2.1.5 天津市(第2次)
3 経済
4 気候
5 教育
5.1 大学
5.2 中学
6 観光
7 交通
8 友好都市・姉妹都市
8.1 日本
8.2 日本以外
9 スポーツ
10 出身者
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
歴史