天沼町
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 埼玉県 > さいたま市 > 大宮区 > 天沼町

■天沼町
町丁
合併記念見沼公園
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■天沼町天沼町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度54分13.39秒 東経139度38分21.32秒 / 北緯35.9037194度 東経139.6392556度 / 35.9037194; 139.6392556
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
行政区大宮区
地域大宮市
人口(2017年平成29年)9月1日時点)[1]
 ? 合計9,599人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号330-0834[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮

天沼町(あまぬまちょう)は、埼玉県さいたま市大宮区町丁。現行行政地名は天沼町一丁目および天沼町二丁目。住居表示未実施地区。郵便番号は330-0834[2]
地理

大宮区東部に位置する。芝川見沼代用水西縁の間の低地見沼の一部であった。芝川周辺の低地は市街化調整区域[注釈 1]である。見沼代用水の西側は大宮台地がある。堀の内町大原[注釈 2]北袋町浅間町吉敷町東町見沼区上山口新田新右エ門新田と隣接する。地内は東部は主に学校や公園などの公共施設、西部は市街化区域[注釈 1]に指定され住宅地である。
地価

住宅地の地価は、2019年平成31年)1月1日時点の公示地価によれば、天沼町一丁目257番4の地点で28万3000円/m2となっている[4]
歴史

もとは江戸時代初期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する天沼村であった[5]。天正20年の史料には甘沼と記されているものもある。地名は沼が高い場所にあることが起源と云われている。村高は天正年間の『武蔵田園簿』では214余、『元禄郷帳』では上天沼村では150石で下天沼村では60石、『天保郷帳』では下天沼村では74石余であった[6][7]助郷は両村とも中山道大宮宿に出役していたが、正徳安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた[6][7]化政期の戸数は上天沼村では18軒[注釈 3]で下天沼村では16軒[9]、村の規模は上天沼村では東西・南北とも5[8]で下天沼村では東西3町、南北4町余[9]であった[6][7]。村内を流れる見沼代用水西縁には上天沼河岸や下天沼河岸が設けられていた。

1593年文禄元年)より村域に当たる一部領域の知行旗本大岡氏となる[5]

1633年寛永10年)より天領となっていた天沼村の残りの部分が旗本朝比奈氏知行となり、天沼村は旗本2氏による相給となる[5]

正保 - 元禄年間より天沼町から旗本大岡氏知行が上天沼村、旗本朝比奈氏知行が下天沼村に分村する[5][6][7][注釈 4]。なお、検地時期は上天沼村、下天沼村とも不明。

1727年享保12年)より見沼が干拓され[11]、翌年村内に見沼代用水が開削される。

1731年(享保16年) - 見沼通船が開始、村内に上天沼河岸および下天沼河岸が設置[12]

1828年文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属[6][7]

幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、上天沼村は大岡主水の知行、下天沼村は朝比奈鐘之助の知行[13]

1868年慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。

1869年明治2年)

1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。県庁は東京府馬喰町に置かれる。

9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef