天明大噴火
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天明大噴火
天明の浅間焼け
浅間山の天明大噴火を描いた「夜分大焼之図」[1]
火山浅間山
年月日天明3年7月7日 (1783年8月4日)[2]
天明3年7月8日 (1783年8月5日)
噴火様式プリニー式噴火[3][4][5]
火山爆発指数4
影響死者1,624人
流失家屋1,151戸
焼失家屋51戸
倒壊家屋130戸余り
プロジェクト:地球科学プロジェクト:災害

天明大噴火(てんめいだいふんか)とは、江戸時代1783年8月5日天明3年7月8日)に発生した浅間山大噴火である[6][7][8]。浅間山史上最も著名な噴火であり[9]、天明の浅間焼け(てんめいのあさまやけ)とも呼ばれる[10][11][12][13]
概要天明大噴火により浅間山の北側に形成された鬼押出し溶岩

現在の群馬長野県境に位置する浅間山(標高2,568m)は日本を代表する活火山であり[14]、過去に何度も噴火を起こしている[15][16]。記録に残る最古の浅間山噴火は、日本書紀に記された685年の噴火である[17]。その後1108年に「天仁噴火」と呼ばれるかなり大規模な噴火があったと伝わる[18]。1783年に発生した天明の浅間山噴火は、歴史に残る他のどの浅間山噴火よりも激甚な災害をもたらしたため、詳細な記録が古文書絵図などで豊富かつ多様に残されている[19]。比較的新しい時代に起きた大噴火であったため噴出物の保存もよい[20]

天明大噴火は、天明3年4月9日(1783年5月9日[21][22])から始まり[23]、7月7日(8月4日)夜?翌朝頃に最盛期を迎え[24]、結果的に約90日間続いた[25][26]。大規模なマグマ噴火であり、山体崩壊や二次爆発などが発生した[27][28]。噴出物総量は4.5×108m3[27]マグマ噴出量は0.51 DRE km3[27]火山爆発指数はVEI4[29]、噴火マグニチュードは5.1であった[30]

この噴火は前掛山山頂火口(釜山火口)から発生し、主として北側の山麓(現在の群馬県嬬恋村長野原町など[31])を中心に大被害を出した[32]。特に鎌原村(現・嬬恋村大字鎌原地域)は[33]、この時の火砕流や土石なだれでほぼ壊滅したことで知られ[34][35]、村の人口の約8割にあたる477人が死亡した[36]。現在浅間山の北側にある溶岩地形・鬼押出しは、この時に形成されたものである[37]天明浅間山噴火を描いた絵図は、オランダ商館長のイサーク・ティチングによって『将軍列伝』(1820) の挿絵としてヨーロッパにも紹介された。

この時の噴煙成層圏にまで達し、関東一円に大量の軽石火山灰が降り注いだ[6][38][注 1]関東平野一帯は、この噴火による火砕流岩屑なだれ、大泥流や洪水などにより、極めて甚大な被害を受けた[2][39]。特に、吾妻川利根川を流下して太平洋江戸湾にまで到達するほどの大規模火山泥流の発生は、災害を極めて激甚なものとした[40]。また、火山灰が直射日光の照射を妨げて既に始まっていた天候不順を加速させたことから、天明の大飢饉の原因の1つになったとされる(後述[41][42]

この年はアイスランドラキ火山などでも巨大噴火が起こり[43][44]、浅間山噴火とあいまって大量の火山灰が北半球を覆ったため[7][39]、世界的な低温・凶作が起こり[6][7]、天明飢饉だけでなくフランス革命の遠因にもなったと考えられている[45][46][47][48]
ギャラリー

天明の噴火、図面 1

天明の噴火、図面 2

天明の噴火、図面 3

天明の噴火、図面 4

天明の噴火、図面 5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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