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天文館(てんもんかん)は、鹿児島県鹿児島市にある中心繁華街・歓楽街の総称。一帯は繁華街と歓楽街が隣接し、一大商業、娯楽エリアとなっている。
概要天文館本通りアーケード(天文館交差点から城山方面・2011年11月)天文館G3アーケード(天文館交差点から鴨池方面・2022年8月)
天文館は鹿児島県最大の繁華街・歓楽街であり、天文館及びその周辺には、各企業が鹿児島県及び宮崎県(いわゆる南九州地域)を管轄する支社等を設置しており、南九州地域の中心地としての機能も有している[1][2]。アーケード商店街は九州でも有数の規模である。
地元有力百貨店の山形屋や大規模なアーケード商店街を擁する天文館地区は、鹿児島の商業機能の大半が集積する一大エリアであったが、2004年に鹿児島中央駅にアミュプラザ鹿児島が開業し、2007年にイオンモール鹿児島が誕生するなど、2000年代以降は市内の商業を取り巻く環境は大きく変貌した。天文館でも三越鹿児島店が閉店して専門店街のマルヤガーデンズに転換するなど変化が生まれ、かつてのような天文館一極集中の構図ではなくなっている。
天文館の中心部では、天文館本通りアーケード、天文館G3アーケード(千日通り)及び天文館電車通り(いづろ通り)が縦横に貫き、その周辺をアーケードやカラー舗装された通りが網の目状に連なる。これらの通りでは、古くからの個人商店のほか、ブティック、カフェなど洒落た店が立ち並び、またアミューズメント施設や無数の飲食店が軒を連ね、昼夜・年中を問わず多くの人で賑わう。文化通り一帯は歓楽街となっており、夜になると多くのネオンがともる。
天文館では、アーケードが全蓋型、片屋根型、ジョイント型を合わせて約3.5 km(全蓋型1,485 m、片屋根型1,934 m、ジョイント型84 m)にも及び、アーケード抜きには天文館を語ることは出来ない。これは、桜島の降灰対策や、夏の強い日差しを避けるためである。
なお、天文館とは、天文館交差点や天文館通電停を中心とした繁華街・歓楽街エリア全体を指す通称であり、固有地名でないことから、その定義は非常に曖昧かつ漠然としている。したがって、地元住民の間でさえ、天文館の範囲について議論が交わされることがある。 .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}天文館鹿児島中央駅鹿児島駅 天文館の位置(鹿児島市中心部)鹿児島市中心部の地図を表示天文館鹿児島中央駅イオンモール鹿児島 天文館の位置(鹿児島市)鹿児島市の地図を表示 江戸時代、第25代薩摩藩主・島津重豪が天体観測や暦の研究施設として現在の東千石町に明時館(別名「天文館」)を建設したことに由来する[2]。 明治期までは天文館一帯は薄の生える空き地も目立つような寂しい場所であったが、大正時代前期に南林寺墓地が移転し、大正時代後期から昭和初期にかけては路面電車が開通したことから、同時に鹿児島座(1918年火災により焼失)をはじめとした多数の映画館や劇場が開館した[3]。それに伴い鹿児島各地から昼夜の別なく多くの人々が押し寄せるようになり、まもなく周辺に映画客目当てとした飲屋や赤線、食堂などが自然発生的に現れた。千日町や山之口町界隈の歓楽街は、その頃に原型が形成された。 その後、山形屋呉服店が大正時代初頭に神戸以西で初の鉄筋コンクリート造の大型デパートを開業すると、その周辺の商店や町屋が次第にショッピングゾーン 天文館は、ショッピング・歓楽ゾーンとして地元では絶大なブランド力を持ち続けていたが、近年、九州新幹線の開業などによって鹿児島中央駅周辺や鹿児島市中南部で新興繁華街や大型商業施設が台頭した影響を受け、天文館一帯の空洞化が深刻化してきている。 特に2009年5月の三越鹿児島店の撤退は地元経済界に大きな驚きとショックを与えたが、それから約1年後の2010年4月には後継店舗として複合商業施設「マルヤガーデンズ」が開業したほか、2012年5月には全国初となる、繁華街が運営主体のシネコン「天文館シネマパラダイス」が開業するなど、天文館復活への取り組みも進められている。 天文館では、以前は路地裏や地下のような動線の劣悪な場所でも空き店舗はほとんど見られなかったが、近年はアーケード内や電車通りに面した建物の1階でも空き店舗が見られるようになり、空洞化が懸念されている。 2006年10月に天文館からいったん映画の灯りが消え(2010年4月に復活)、銀行・証券会社等の統廃合により店舗ビルが取り壊され青空駐車場となる例も見られた。電車通りに面した一等地に建っていた「いわさきホテル・ザビエル450(旧:かごしま林田ホテル)」や、夜の鹿児島の顔であった千日町の「エンパイヤビル」はいずれも解体され、現在のところ明確な再開発計画はなく更地となっている(当面の間、「ザビエル450」跡地は駐車場として、「エンパイヤ」跡地はイベント広場として活用)。更に、2009年5月には天文館の核店舗の1つであった三越鹿児島店が閉店し、鹿児島市内の百貨店は山形屋本店を残すのみとなった。 天文館の歩行者通行量は、2000年から2010年までの10年間に、天文館本通りアーケードで約26%、天文館G3アーケードで約40%(いずれも週末)の大幅な減少となっており [4]、南日本新聞の記事でも2002年からの5年間で2割減少したとある。なお、天文館の空き店舗率は2011年で9.9%に上ったが、2012年には6.6%に改善している。
歴史
天文館跡碑
三越鹿児島店の閉店
天文館の成立と繁栄
現代の天文館
空洞化傾向
新たな商業地区の出現
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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