天文台(てんもんだい、英語: Astronomical observatory)は、天体や天文現象の観測を行ったり、観測結果を解析して天文学の研究を行うための施設。現代では学術研究目的以外に、宇宙の観察や学習といった天文教育・普及活動の拠点としての性格を持つ天文台もある。
天文台の歴史「天文学史」も参照
古代以来の天文学の重要な役割に、天体観測によって正確な時刻を確定し正確な暦を作るという目的がある。このためには天体の会合や出没・南中時刻などを地球上の同一の地点から継続的に観測する必要がある。また、17世紀に望遠鏡が発明され、より微弱な天体の光を捉えるために望遠鏡が大型化していくと、固定した建物の中に望遠鏡を据え付けて観測するというスタイルが一般的になった。このような理由で造られた観測施設が天文台の始まりであると考えられる。
初期文明マヤの天文台 「El Caracol(カタツムリ)」
世界四大文明と呼ばれる地域では、天体観測が王国の威信を懸けて行われていた。様々な目的があるが、エジプト文明の場合には、ナイル川の氾濫の時期を予測して、農業などを行う際の基準として暦が編纂されていた。
アンデス・アステカ・マヤ文明などでも、同じような目的で天体観測が行われ、精密な暦が編纂されていたが、言語学的な資料が乏しいため詳しいことは分かっていない。
イスラム圏サマルカンドのウルグ・ベク天文台。地下に掘られた観測機構(象限儀)。
イスラム圏では、1420年代にティムール朝の王族(のちに君主)にして天文学者であったウルグ・ベグが、サマルカンド郊外に天文台を建設した(のちにウルグ・ベク天文台と呼ばれる)。この天文台は15世紀半ばに破壊されたが、20世紀に発掘された。 ヨーロッパでは、チコ・ブラーエが北欧に設立した天文台まで、記録が残っていない。オランダの眼鏡職人ハンス・リッペルハイが発明したとされる、ガリレオ式天体望遠鏡やチコ・ブラーエの下で天体観測データの解析を通じて、惑星運動のケプラーの法則に名を残すヨハネス・ケプラーによって考案された、ケプラー式天体望遠鏡などが開発されてから、天体観測所として人類の宇宙観を大きく変える発見がなされた。その後も、イギリスのアイザック・ニュートンが開発した、ニュートン式反射天体望遠鏡が天体観測装置の精密化や大口径化を後押しした。 中国では、暦の制作や占星術のために天文学が発達し、天体現象が観測され記録された。 周代には太史
ヨーロッパ
東洋「中国の科学技術史」も参照
明代の1442年、北京に天文台(北京古観象台)が開設された。
日本葛飾北斎画:『鳥越の不二』
浅草天文台にて
日本最古の天文台は、『日本書紀』天武天皇3年(674年)条に登場する「占星台」であり、その名の通り、当時の天文学の主たる目的の1つであった占星術を目的としていた。「天文台」という言葉で知られているのは、天明2年(1782年)に江戸浅草に作られた江戸幕府天文方の「浅草天文台」であるが、「天文台」という言葉はむしろ少数派で、天文方の著作である『寛政暦書』では、「測量台」が採用されて、別名として「司天台」「観象台」などを併記するが「天文台」はない。なお、「司天台」は浅草移転前の天文方の天文台の呼称であるとともに、陰陽頭の土御門家が京都梅小路に作った天文台に用いられた。