天山_(航空機)
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中島 B6N 天山

天山一二型 

用途:艦上攻撃機

設計者:松村健一

製造者:中島飛行機

運用者: 大日本帝国日本海軍

初飛行:1941年3月14日

生産数:1,266機

生産開始:1943年2月

運用開始:1943年7月(昭和18年:実戦配備)

退役:1945年8月(昭和20年:終戦時)
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天山(てんざん)は、日本海軍九七式艦上攻撃機(以下、九七式艦攻)の後継機として開発・実戦配備した艦上攻撃機。機体略号はB6N。設計・生産は中島飛行機。連合国軍のコードネームは「Jill(ジル)」。
開発の流れ

昭和14年(1939年)10月、海軍は制式採用直前の九七式三号艦攻の後継艦上攻撃機として「十四試艦上攻撃機計画要求書」を中島飛行機に提示した。開発要求書に記載されていた内容は概ね以下のようなものだったとされる。
最高速度
463.0km/h以上
航続距離(雷装時)
3,334km以上
発動機
または火星

これを受けた中島飛行機では、社内名称BKとして松村健一技師を設計主務者とする設計陣が開発に当たることとし、昭和15年(1940年)5月から本格的に開発を開始した。
名称について

開発中は当時の命名基準に従い、計画開始年度(昭和)と機種名を並べて十四試艦上攻撃機と呼称されていた。制式名称は「○式艦上攻撃機」となるはずだったが、制式採用直前の命名基準改定で「攻撃機は山に因む名称とする」と規定されたため、昭和18年8月の採用時に天山 (佐賀県)より命名された。
発動機選定

開発開始当初に問題となったのは、他の日本機と同じく搭載発動機の選定だった。開発要求書で指定されていた護は九七式一号艦攻等で実績のある単列9気筒のを複列14気筒化した1,800馬力級の中島製発動機で、火星は九六式陸上攻撃機等で実績のある金星のボア・ストロークを拡大した1,500馬力級の三菱製発動機だった。海軍は非力ではあるものの既に十二試陸上攻撃機(後の一式陸上攻撃機)試作機に搭載されて各種試験が進められていた火星を推していたが、中島側は自社製であるため改修が容易に行えること、現状でも火星より大馬力であるが2,000馬力級まで出力向上が見込めること、火星より燃料消費量が少ないこと等を理由に護を推していた。議論の末、海軍が中島の主張を入れる形で昭和16年(1941年)3月に搭載発動機を護とすることに決定した。
難航する実用審査

昭和17年(1942年)2月20日にB6N1試作一号機が完成、直ちに試験飛行が開始されたものの、護の振動が激しい上に故障が多く、しかも大馬力故の強トルクにより離着陸滑走中に機首を左に振るという艦上機としては大きな問題点が発見されている。それでも完成から4ヵ月後の7月19日にB6N1試作一号機は海軍に引き渡され、実用試験が開始されている。

海軍の実用試験では排気管等の改修が行われた他、雷撃試験において超低空での高速雷撃時にプロペラ後流の影響で魚雷の海中突入角度が浅くなって海面で跳躍することが判明、魚雷懸吊架の改修と新型框板の開発で解決されている。昭和17年末から開始された離着艦試験では着艦制動索の切断が多発した。当初は九七式艦攻より重い上に着艦速度が高いことが原因と考えられていたが、調査の結果、着艦フックの形状不良が原因であることが判明している。また離陸滑走距離が長いことが問題視され、実用試験中だったRATOを搭載することが決定されている。
B6N1量産開始と発動機換装 天山一二型試作機

海軍は実用試験の終了を待たず、基地航空隊用としてB6N1を130機程度生産することを中島に指示した。その一方、昭和18年(1943年)1月には発動機を水メタノール噴射装置の追加によって1,800馬力級となった火星二五型に換装した仮称B6N2の開発も開始されている(海軍からの正式な指示は昭和18年4月)。前者は現用の九七式艦攻より約100km/h速い新型艦攻を一刻も早く前線に送るための措置であり、後者は不調で搭載機の少ない護の生産を中止し、中島飛行機の発動機生産を当時実用試験中だったに集中させるためだった。

試験飛行時から問題になっていた離着陸滑走中の左回頭については、B6N1量産開始後に垂直尾翼の取付角を機軸に対し左に傾けることで一応の解決とされている。B6N1の量産と部隊配備が進められる一方、同年7月にB6N2試作一号機が完成、発動機の信頼性が向上した他、航続距離以外の性能全般の向上が確認されたことから、同年10月にはB6N1に代わってB6N2の量産が開始されている。
設計の特徴

B6N1とB6N2の設計には、以下のような特徴があった。
胴体

大直径の護に合わせて雷電(最大幅1.50m)に次いで太い最大幅1.45mの胴体を採用しているが、爆弾倉は設けられておらず、魚雷や爆弾は胴体下に懸吊する。前下方視界が九七式艦攻より悪化したことから、視界確保のために操縦員の座席を2倍の高さまで調整できるようになっており、前部風防上面の一部を立てて風除けにすることができた。操縦桿には伸縮機能があったが、計器盤の下部にあるラダー(方向舵)ペダルについては何の措置もとられなかったため、小柄な搭乗員の場合、操縦席を上げるとラダーペダルに脚が届かなくなることがあった。

空母のエレベーターの寸法に収めるため、垂直尾翼後端を前傾させることで着陸姿勢での全長を短くしている。この措置と太い胴体のため、九七式艦攻と比較して寸詰まりという印象を受けた搭乗員もいた。発動機のトルクによる左回頭性の対策として、垂直尾翼をB6N1 19?29号機は機軸に対して左に3度、30号機以降は2.1度傾けて取り付けている。

B6N2は発動機の重量が軽くなったことから、前後の重量バランスを取るため機首が延長された他、工数簡略化のために引き込み式だった尾輪を固定式にしている。実戦配備開始後、急激な横滑り操作(敵戦闘機の銃撃回避操作として行われていた)による荷重によって垂直尾翼が破損、空中分解が多発したため、全機に垂直尾翼と方向舵の取付部の補強が行われている。
主翼

胴体長同様、空母のエレベーターの寸法の関係から、主翼面積と翼幅は九七式艦攻よりわずかに小さい37.202m2、14.894mに抑えられており、翼端から3.85mの位置で折り畳むことが出来た。翼型は後に彩雲の設計にも関わる内藤子生らが開発した中島飛行機独自の層流翼型であるKシリーズの初期型(翼根K121、翼端K119)を採用、高揚力装置として九七式艦攻が装備したスプリット式より能力の高いファウラーフラップの一種である蝶型フラップを装備している。しかし、実用試験中に低速での降下率が要求よりも大きいと指摘されている。

要求性能にある長大な航続力を達成するため、主翼上面が燃料タンクの一部で構成される大容量のセミインテグラルタンクを採用している。その他に胴体タンクも装備しており、B6N1では離昇用燃料タンクとして使用されていたが、B6N2以降は水メタノール用タンクに変更されたため、航続距離が幾分短くなる原因になっている。これまでにない重量級の艦上機であることから、主脚には高い強度が与えられているが、実戦配備後に主脚取付部の破損が多発したため、補強が行われている。
発動機 飛行中の天山一二型

護一一型は光をベースに開発されているが、ボア、ストロークとも光より幾分小さいものを採用している。整備性を良くするために余裕のある設計になっていたが、発電機の向きが従来とは逆だったため、小型機では調整が難しくなると海軍から指摘されている(機体を調整しやすい構造にすることで対応)。B6N1の他には、十三試陸上攻撃機/試製深山に搭載されたのみで、生産数も約200基と少ない。

火星二五型は開発開始時にも搭載発動機の候補だった火星一〇型に水メタノール噴射装置を追加した性能向上型で、護一一型とほぼ同じ離昇出力を発揮できた。プロペラ減速比等を除けば二二型以降の一式陸攻や二式大艇一二型等に搭載された火星二一型、二二型と基本的に同じ発動機である。

エンジンカウルには、気化器用空気取入口が上面に、潤油冷却器用空気取入口が魚雷との干渉を防ぐために正面から見て下面のやや左に寄った位置にそれぞれ突出して装備され、排気管はB6N1では集合式だったが、B6N2以降は増速効果があり、かつ排気炎の小さい推力式単排気管に変更されている。また、日本機として初めて全金属製4翅プロペラを採用している(B6N1は直径3.5m、B6N2は3.4m)。
武装および防弾

主兵装である航空魚雷には、九一式航空魚雷改三(開発開始当初は改二)を予定していたが、B6N1試作機での雷撃実験の結果、強度不足が明らかとなったため、改三を補強した九一式航空魚雷改三(改)または改三(改)の改良型である九一式航空魚雷改三(強)が搭載された。九七式艦攻同様、懸吊位置を機軸より右に寄せることで潤油冷却器用空気取入口との干渉を避けている。雷撃実験で明らかになった高速雷撃時の魚雷の海面跳躍対策として、機軸に対して魚雷を2度下向きに懸吊するようにした他、空中雷道と海面突入角の安定用として魚雷の尾部に取り付けられる框板を、従来の九七式から高速雷撃に適合した四式に変更している。

後上方銃座の他に後上方銃座の死角となる後下方からの襲撃に備えて収納式の後下方銃座を装備している。後下方銃座は、昭和15年頃に研究されていた800kg爆弾を用いた高高度水平爆撃時の使用を想定して装備されたものだが、実際には敵戦闘機の迎撃を受けやすい水平爆撃はほとんど行われず、低空雷撃が主な攻撃法となっていたことと、銃座を射撃可能状態にするのに時間がかかるため使用頻度は低かった。

B6N1 70号機までは、日本海軍の艦上攻撃機としては珍しく左主翼内に7.7mm固定機銃を搭載していた。これは雷撃時に敵艦の対空機銃を制圧するために装備されたものだが、71号機以降は廃止されている。

また、昭和19年4月から開発が進められていた対潜水艦用有翼旋回魚雷「空雷六号」の母機として、B6N1及びB6N2が予定されていた[1]

防弾装備については不明なところが多いが、燃料タンクに炭酸ガス噴射式の消火装置が装備されている。しかしこれでは不十分であったため、昭和19年10月に自動防漏式タンク装備機が試作されたが、不具合が多く量産には至らなかった。
その他

昭和19年3月頃からB6N2およびB6N2aは3機に1機の割合で、H-6型電探を搭載しており、マリアナ沖海戦時の第六〇一航空隊にも電探搭載型が数機配備されている。また、夜間雷撃に投入される機体の中には、電波高度計を追加装備したものもあった(主翼下面にアンテナを追加装備)[2]


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