天守の一覧
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天守の一覧(てんしゅのいちらん)は、日本城郭天守、またはそれを模倣した建築物の一覧。
凡例
掲載範囲

以下のような建物を記載する。
天守は、「てんしゅ」と呼ぶ、呼ばれていたもの(漢字表記の指定はない)

御三階櫓などの実質上、天守としていたもの。

天守のない
城郭において天守としてみなされていた事実のある

現状による分類

各天守について以下のような区別をする。記述方法は各節に従う。

現存天守は、城が存城当時に建てられたものが野外において保存され、現在も存在が認められるものをいう。

現存しない天守は、現在では建物はないが、指図・絵画資料・文献・遺構・古写真の何れかがあり、存在した当時の様子が覗える資料が現存するものをいう。伝説・伝承のみのものは含まない。

木造復元天守は、文献・絵図・絵画資料・古写真・遺構などを元に当時の工法・構法を用いて忠実に復元したものをいう。

外観復元天守は、文献・絵図・絵画資料・古写真を元に外観を復元したものをいう。

復興天守は、天守は過去に存在し、同じ場所に現存する城を参考に、または想像して建てられたものをいう。

模擬天守は、存在が確認できないまたは、特定に至らない状態で建てられたものをいう。主に以下3種に分類に属するもの。
天守は実在したが、異なる場所(城敷地内もしくは常識的な近隣)に再建されたもの。

天守台は実在したが、天守が建てられなかった城に建てられたもの。

城は実在したが、天守は存在しなかった、もしくは存在したか不明な城に建てられたもの。


天守閣風建築物は、上記のいずれにも属さず、「城」・「天守閣」などを含む正式名称を持つもの、または、正式に天守を模した外観であるものとする。

時代区分

安土桃山時代 - 1568年永禄11年)から1603年慶長8年)の期間とする。

江戸時代 - 1603年慶長8年)から1867年(慶応3年)の期間とする。

うち、江戸末期(幕末)は、1853年嘉永6年)から1868年慶応4年)の期間とする。


現存天守現存12天守

現存する江戸時代以前の天守の詳細は現存天守を参照。括弧内は、(指定文化財、所在地- 建造年)順は建造年の古いものが上位。最終の改築・再建年代を順序に数える。

丸岡城(重要文化財、福井県坂井市- 不明(1576年(天正4年)築説あり))

彦根城(国宝、滋賀県彦根市- 1606年(慶長11年)築)

松江城(国宝、島根県松江市- 1607年(慶長12年))

姫路城世界遺産・国宝、兵庫県姫路市- 1609年(慶長14年)改)

犬山城(国宝、愛知県犬山市- 1601年(慶長6年)築 1620年(元和6年)改)

松本城国宝長野県松本市-1597年(慶長2年)築 1633年(寛永10年)改)

丸亀城(重要文化財、香川県丸亀市- 1660年(万治3年))

宇和島城(重要文化財、愛媛県宇和島市- 1665年(寛文5年)再)

備中松山城(重要文化財、岡山県高梁市- 1683年(天和3年)築)

高知城(重要文化財、高知県高知市- 1747年(延享4年)再)

弘前城重要文化財青森県弘前市- 1811年(文化8年))

松山城(重要文化財、愛媛県松山市- 1602年(慶長7年)築 1853年(嘉永6年)再)

現存する天守相当の櫓

上記現存天守のほかに、天守ではないが、天守代用の櫓、天守に付属する小天守またはそれに相当する城郭建築の現存例。
天守代用櫓の現存例


江戸城富士見櫓(東京都千代田区 - 1659年頃築・関東大震災で倒壊後、修復) - 江戸城寛永度天守焼失後、天守の代用とされた。
[1] 

明石城坤櫓(兵庫県明石市 - 1620年頃築)[2]

小天守に当たる櫓の現存例


熊本城宇土櫓(重要文化財、熊本県熊本市 - 1601年から1607年築)[3]

大洲城台所櫓(重要文化財、愛媛県大洲市 - 1859年再)[3]

大洲城高欄櫓(重要文化財、愛媛県大洲市 - 1861年再)[3]

現存しない天守

括弧内は、(損失原因-所在地-損失した年・年月日)順は損失した年の古いものを上位に記す。不明な場合は50音順で下位に記す。
16世紀損失

二条城天守(解体?1576年(天正4年))

安土城天主(焼失-滋賀県近江八幡市-1582年(天正10年))


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