天子摂関御影
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後白河院(天子巻より)

天子摂関御影(てんしせっかんみえい)は、平安時代後期から鎌倉時代に及ぶ天子摂関大臣計131名の肖像を描き連ねた画巻(絵巻)。似絵の主要作品の1つ。曼殊院門跡に伝来したが、明治11年(1878年皇室に献上され、現在は宮内庁三の丸尚蔵館所蔵。全4巻。各巻ともに紙本着色で、縦幅は約29cm。天皇摂関大臣影(てんのうせっかんだいじんえい)とも。重要文化財(令和6年度指定予定)[1]
概要

「天子巻」「天子巻別巻」「摂関巻」「大臣巻」の4巻から成る。「天子巻」は鳥羽院から後醍醐院までの20人、「天子巻別巻」は後光厳院の1人のみ[2]、「摂関巻」は藤原忠通から鷹司冬教までの30人、「大臣巻」は藤原家忠から今出川兼季までの80人を描き、若干の欠があるも、凡そ200年に亘る天皇・摂関・大臣の肖像を網羅している。4巻ともに像主はみな盛装端座して、巻首の1人がやや右向き(「天子巻別巻」のみ左向き)の他、2人目以下がこれに対するごとく左向きで描かれ、各人の左肩上には墨書で名を入れている。背景や詞書はない。面貌は似絵の手法を用いて表現され、装束は「天子巻」が最も多様かつ色彩に富むものの、「摂関巻」「大臣巻」では画一的となっている。像主が明記されていることから、他作品との比較基準となる作品であり、かつ肖像画を絵画史料として分析・利用する上でも恰好の材料である。

主な図版としては、書陵部から出された複製本の他、『新修日本絵巻物全集26』・『続日本絵巻大成18』・『続日本の絵巻12』などの刊行本がある。
作者・年代

「天子巻」「摂関巻」「大臣巻」の巻末には尊円入道親王の筆と推定される奥書があり、それによると画ならびに人名注記は次による筆であると判明する。

画:藤原為信/注:世尊寺行尹
「天子巻」鳥羽院から後二条院までの18人

画:藤原豪信/注:奥書筆者(尊円か)
「天子巻」花園院・後醍醐院の2人と「摂関巻」「大臣巻」全部

為信や豪信は似絵の技能を代々継承した隆信派(祖は藤原隆信)に属する絵師であるが、それ故に家には人物を描いた粉本が大量に蓄積されていたと推定され、これらを集大成した作品である本図巻は似絵の中でも写本的な性格が強いものである。もっとも為信が早く没している(1316年以前)ことからして段階的に描き継ぎを経たと考えられ、全3巻の最終成立は貞和4年(1348年)から同6年(1350年)1月の間とみられている(後光厳院を描いた「別巻」はこれ以降の成立だが、その作者は不詳)。
収録人物
天子巻崇徳院後宇多院

在位順に配列されている。括弧内は各天皇の装束
鳥羽院(法体)

崇徳院(冠直衣)この間に近衛院を欠く。

後白河院(法体)

二条院(御引直衣)この間に六条院を欠く。かつてはここに「別巻」の後光厳院が挿入されていた。

高倉院(束帯)この間に安徳天皇を欠く。

後鳥羽院(烏帽子直衣)

土御門院(冠直衣)

順徳院(冠直衣)この間に九条廃帝を欠く。ただし九条廃帝を歴代天皇に加えて仲恭天皇と追号したのは明治時代のことである。

後高倉院(法体)- 即位はしていないが、後堀河院の父として太上天皇号を贈られ(尊称天皇)院政を敷いた。

後堀河院(冠直衣)

四条院(御引直衣)

後嵯峨院(烏帽子直衣)

後深草院(烏帽子直衣)

亀山院(烏帽子直衣)

後宇多院(烏帽子直衣)

伏見院(冠直衣)

後伏見院(冠直衣)


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