天塩炭礦鉄道
概要
現況廃止
起終点起点:留萠駅
終点:達布駅
駅数8駅
運営
開業1941年12月18日 (1941-12-18)
廃止1967年7月31日 (1967-7-31)
所有者天塩炭礦鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長25.4 km (15.8 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
国鉄:羽幌線
0.0留萠
天塩炭礦鉄道(てしおたんこうてつどう)は、北海道北西部に鉄道路線を有した民営鉄道である。
北海道炭礦汽船(北炭)が天塩炭礦で産出する石炭を運ぶために建設した。同じ留萌炭田には既に留萠鉄道があったため、旧国名の天塩を路線名に用いた。会社設立時は天塩鉄道(てしおてつどう)と称したが、1959年(昭和34年)に改称。1967年(昭和42年)に鉄道路線を廃止し、バス部門を第二会社の天塩鉄道バス(現・てんてつバス)へ引き継いだ。
本項では、天塩炭礦鉄道が保有した鉄道路線に関することについて、主に記述するものとする。 天塩鉄道は、北海道炭礦汽船(北炭)天塩炭礦の石炭を、留萌に建設が予定された北海道人造石油第二工場へ運ぶために敷設されたものである。北炭は1901年(明治34年)に天塩炭礦の鉱区を取得したが、本格的な開発に着手したのは昭和に入ってからで、1933年(昭和8年)頃より鉄道敷設計画に着手していた。一方、北海道人造石油は1938年(昭和13年)施行の人造石油製造事業法に基づく北炭傍系の国策会社で、滝川工場と留萠事業所を設置して石炭液化による人造石油の製造を企図した。 北炭は1938年(昭和13年)に天塩炭礦の石炭輸送と御料林木材輸送を主な目的に留萠 - 達布間の鉄道敷設免許を申請し、翌年これを取得した。太平洋戦争開戦間もない1941年(昭和16年)12月18日に開業したが、戦時体制下での資材調達は困難で、工事の遅れた天塩本郷 - 達布間は石炭輸送(車扱貨物)のみで先行開業し、不足した車両は夕張鉄道より借り入れて補った。 敗戦により人造石油製造が中止されると北炭天塩炭礦の事業は立ち行かなくなって採炭中止が決まったため、1951年(昭和26年)4月天塩鉄道みずから炭礦を譲受けて経営することになり、1959年(昭和34年)には社名を天塩炭礦鉄道に変更した。輸送量もその頃がピークだが、貨物は年間20万トン余り、旅客輸送密度も約850人/日ほどで振わなかった。 同時期の他の炭鉱鉄道のような内燃動車導入による客貨分離は最後まで行わず、路線バス事業の免許を取得して旅客を移行した。昭和40年代に入ると会社再建計画により住吉炭礦の露天掘りや日新炭礦の新坑口を開設したが期待通りの成果が得られず、1967年(昭和42年)4月に両炭礦の採炭が終了すると同時に存在理由を失い、バス事業を新会社に引き継いで鉄道を廃止した。 *印は交換可能な駅 留萠駅 - 春日町駅(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度57分22.3秒 東経141度39分55.3秒 / 北緯43.956194度 東経141.665361度 / 43.956194; 141.665361 (春日町)
概要
路線データ
区間(営業キロ):留萠 - 達布 25.4km
軌間:1067mm
駅数:8
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
軌条:30kg
橋梁:14箇所
隧道:3箇所
機関区:留萠駅構内
歴史
1938年(昭和13年)7月21日:天塩鉄道留萠 - 達布間鉄道敷設免許申請
1939年(昭和14年)
3月15日:天塩鉄道敷設免許
3月15日:天塩鉄道設立
1941年(昭和16年)12月18日:留萠 - 天塩本郷間運輸営業および天塩本郷 - 達布間車扱貨物営業開始、臼谷、天塩本郷、達布各駅営業開始[2]
1942年(昭和17年)
6月29日:天塩本郷 - 達布間一般貨物営業開始
8月1日:天塩本郷 - 達布間旅客営業開始、沖内、寧楽、天塩住吉各駅営業開始[3]
?:臼谷駅を桜山駅に改称
1945年(昭和20年):達布駅裏貯木場へ達布森林鉄道が接続
1949年(昭和24年)7月25日:春日町停留場設置届
1951年(昭和26年)4月1日:天塩鉄道が北炭より天塩炭礦を譲り受けて操業開始
1957年(昭和32年)
?:達布森林鉄道廃止
2月10日:達布専用線小平蘂川橋梁付近で氷雪のため貨車2両脱線、内1両河中に転落
1959年(昭和34年)5月30日:天塩炭礦鉄道に社名変更
1961年(昭和36年)6月1日:路線バス事業免許
1967年(昭和42年)
7月27日:運輸営業廃止許可(申請:5月12日)
7月31日:運輸営業廃止。バス部門を天塩鉄道バスに譲渡し、清算業務に入る
駅一覧