天塩弥生駅
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天塩弥生駅
駅跡に建つ駅舎を模した民宿(2017年9月17日)
てしおやよい
Teshio-yayoi

北母子里 (15.6 km) (3.2 km) 西名寄
所在地北海道名寄市字弥生.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度20分5秒 東経142度23分9秒 / 北緯44.33472度 東経142.38583度 / 44.33472; 142.38583
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線深名線
キロ程114.6 km(深川起点)
電報略号テヤ
ハチ(改称前)
駅構造地上駅
ホーム1面1線(廃止時)
開業年月日1937年(昭和12年)11月10日[1]
廃止年月日1995年(平成7年)9月4日[1]
備考深名線廃線に伴い廃駅
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1977年の天塩弥生駅と周囲約500m範囲。右が名寄方面。島式ホーム状だが駅舎側は貨物線で、単式ホーム1面1線。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

天塩弥生駅(てしおやよいえき)は、北海道上川支庁名寄市字弥生にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線廃駅)である。事務管理コードは▲121415[2]
歴史

1937年(昭和12年)11月10日 - 鉄道省名雨線の名寄駅 - 当駅間開通に伴い、初茶志内駅(はっちゃしない)として開業[3][4]一般駅[5]

1941年(昭和16年)10月10日 - 当駅 - 朱鞠内駅間が延伸開業し、全通。路線名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。

1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。

1951年(昭和26年)7月20日 - 天塩弥生駅に改称[6]

1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][7]

1982年(昭和57年)3月29日 - 無人駅化[8][7]

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]

1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の全線廃止に伴い、廃駅となる[4]

駅名の由来

旧駅名の「初茶志内」は、アイヌ語の「ハッチャウ?ナイ(hat-cha-us-nay)」(ヤマブドウを・摘む・いつもする・沢〔=いつもそこでヤマブドウをとる沢〕)に由来する[3][9]

その後、当駅が所在した地名から「弥生」の名称を採用し、既に幌内線弥生駅があったことから旧国名の「天塩」を冠した[3][4][9]
駅構造

廃止時点で、1面1線の島式ホーム(※片面使用)を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[10]。かつては1面2線の島式ホームを有する列車交換可能な交換駅であり、ここを始発・終着とする名寄駅からの区間列車も運転されていた。そのほか、駅舎側の線から駅舎側に分岐し駅舎東側の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[11]。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。貨物側線は1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持されていた形で残存していたが[11]、1993年(平成5年)までに撤去された[10]。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[10]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[10]。駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1993年(平成5年)時点ではこの形状[10])。
利用状況

1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は22人
[11]

1992年度(平成4年度)の1日当たりの乗降客数は4人[10]

駅周辺

名寄市内の山間に位置した[11]

北海道道798号西風連名寄線

弥生共同墓地

初茶志内山 - 駅の南。標高201m。

ジェイ・アール北海道バス深名線「天塩弥生」停留所

駅跡駅跡 (2011年8月8日)

駅舎やホームは廃駅後しばらく放置された後、1998年(平成10年)に全て解体され、駅跡地は整地された。2000年(平成12年)時点では跡地が残るのみで[12]、2010年(平成22年)時点では民家の裏の荒廃した空き地となっていた[13]。2011年(平成23年)時点では駅附近の線路跡が確認でき、バラストが残存していた[14]駅名標のレプリカが名寄市の「名寄市北国博物館」にキマロキ編成とともに保存されている[14]

2015年(平成27年)、ある夫妻が天塩弥生駅跡地と周辺の土地を名寄市から購入し、2016年(平成28年)3月から「天塩弥生駅」の屋号で昭和40年代までに建設された道内の駅舎をイメージした民宿を営業している[15][16]
隣の駅
北海道旅客鉄道
深名線
北母子里駅 - 天塩弥生駅 - 西名寄駅
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 U』JTB、1998年、848頁。


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