天叢雲剣
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天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ、あめのむらぐものつるぎ、あまのむらぐものつるぎ)は[1]三種の神器の一つ[2][3][4]。草薙剣(くさなぎのつるぎ)[5]、草那藝之大刀(くさなぎのたち)とも言われる[6][7][8]熱田神宮にある本体と、皇居にある形代の2つがある[9][10]
概要三種の神器(イメージ)

天叢雲剣は草薙剣とも言われ、三種の神器の一つ(八咫鏡八尺瓊勾玉、草薙剣)[11][12][13]。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる[14][15]日本神話において、スサノオ出雲国ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に[16]、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である[17][1][18]。八岐大蛇退治に至る経緯と、神剣の名称については『古事記』『日本書紀』で複数の異伝がある[19]。スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原アマテラスに献上した[20][21]。続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた[22][23]崇神天皇の時代に天叢雲剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り[24][13]、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという[20][25]景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す[26][27]。ヤマトタケルの死後、天叢雲剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏尾張国で祀り続けた[28][29]。これが名古屋熱田神宮の起源である。熱田の御神体として本体の天叢雲剣が祀られている[30][31]

一方、形代の天叢雲剣は、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中、安徳天皇(第81代天皇)を奉じた平家により、他の神器とともに西国へ落ち、源氏方に擁立された後鳥羽天皇(第82代天皇)は三種の神器がないまま即位する[32][33]。平氏滅亡後、神璽と神鏡は確保できたが、神剣は壇ノ浦の戦いにより関門海峡に沈み、失われた[13][34]。その後、朝廷は伊勢神宮より献上された剣を「天叢雲剣」とした[13][35]。神剣の喪失により、様々な伝説・神話が生まれることとなった(中世神話[36]

南北朝時代北朝陣営・南朝陣営とも三種の神器(神剣を含む)の所持を主張して正統性を争い、この混乱は後小松天皇(第100代天皇)における南北朝合一まで続いた(明徳の和約)。現在、神剣(形代)は宮中に祀られている[37]
表記

日本書紀』では「草薙剣」「倶娑那伎能都留伎」[6]、『古事記』では「草那藝之大刀」(八俣大蛇退治時)「草那藝剣」(天孫降臨、ヤマトタケル時)と表記される[38][39]。「天叢雲剣」の名称は、日本書紀の注記で、異伝(「一書」「一云」)として二か所に記される[40][41]。熱田神宮では、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)としている。
象徴

天台座主慈円は「天皇の持つ武力の象徴」と解釈している[15]北畠親房は従来解釈に加えて、「劒ハ剛利決断ヲ徳トス。智慧ノ本源ナリ」という儒学的な解釈を行った[42](北畠の『神皇正統記』では、鏡=正直の本源、玉=慈悲の本源、剣=知恵の本源)[43][44]一条兼良は「鏡=知の用、玉=仁の徳、剣=勇の義」[45]熊沢蕃山は「鏡=知の象(しるし)、玉=仁の象、剣=勇の象」、田中智學は「鏡=天照大神=知徳、玉=月読尊=仁慈、剣=素戔嗚尊=武勇」と解釈している[45]。またスサノオは出雲国の八岐大蛇を退治した時に、高天原のアマテラスに大蛇由来の神剣(草薙剣/天叢雲剣)を献上したが、この神話について天孫降臨および国譲りの伏線とする説もある[46][47]
動向
神代スサノオヤマタノオロチ

高天原から出雲国に至ったスサノオ(素戔嗚尊)はクシナダヒメ(櫛名田比売〈古事記〉、奇稻田姫〈日本書紀〉)を助けるため[48][49]十拳剣ヤマタノオロチ(八俣大蛇/八俣遠呂智〈記〉、八岐大蛇〈紀〉)[50][51]を切り刻んだ[52][53][54]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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