天動説
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天動説の図

天動説(てんどうせつ)、または地球中心説(: Geocentrism)とは、地動説または太陽中心説と対になる言葉で、コスモロジー宇宙論)の1つの類型。大地を静止させ、見かけの天体の運動も全てを真の天体の運動に帰す。このような宇宙論は世界各地に様々なものがあったが、本項目は、古代ギリシアに起源をもち、近代になって地動説によって置き換えられた、球形の大地(地球)を宇宙の中心に置く宇宙論について説明する。これは、古代ギリシアローマ中世のヨーロッパ西アジア?北アフリカ地域に於いて支配的な宇宙論だった。また6世紀以降のインドの天文学(英語版)や占星術も天動説に基づいていた。

この宇宙論は原始的な宇宙論と同じく大地を世界の中心に置くものの、神話的な要素は皆無で、経験的な事実の説明のための学問的な宇宙論であった。幾何学的な数理天文学を伴い、また自然の基本原理についての学説や世界観とも深く結びついていた。上記の中世インド以外においては、プトレマイオス(紀元2世紀)の天文学及びアリストテレス(紀元前4世紀)の自然学と結びついていた。インドにおいては、アーリヤバタに始る様々な学派の幾何学的な天文学が生じ、在来の宇宙論を大幅に変容させて取り込んだ[1][2]

プトレマイオスの理論は、当時の観測精度の範囲では、ほぼ十分に現象を説明していたが、やや技巧的で、アリストテレス的な自然学と整合しない部分もあることが度々指摘された。こういった批判がコペルニクスによる新たな宇宙体系への導線の一つにもなる。近代に入ると、プトレマイオスの天文学とアリストテレスの自然学は、近代的な天文学と力学に置き換えられた。天動説は単なる科学の理論ではなく、思想や世界観とも繋がっていたので、この変革の影響は科学の内部に留まらなかった。
概要

古来、大地を不動とする宇宙論は世界各地にあった。その中には、インドの須弥山説や中国の蓋天説のように、大地の上方に広がる天界を想定したものが少なからずあった。古代ギリシアでも、プトレマイオスアルマゲスト』第1巻3章にそういった宇宙論の紹介がある[3]。それらの理論では、天体が没することを山などにより遮蔽されるか、あるいは遠方に去って見えにくくなると説明した。しかし、これでは観察される出没の様子が再現できず、また天体の軌道も不自然になる。

これらの宇宙論に対して、本項目で解説する天動説では、球形の天が地平線の下までも続き、大地を取り囲むように展開している。大地の形状もまた、天と同様に球形であるとされた。『アルマゲスト』は、この理論が天体の日周運動を容易に説明できることを強調する[3]

また、天動説では、恒星の張り付いた恒星天を想定するが、これは恒星が全体として連動して動いていることを簡単に説明できた。太陽は恒星天と連動して動くが、同時に固有の運動も付加された。そして、恒星天の上を獣帯(黄道に沿った狭い帯状の部分)を西から東に一年で一周する。月や惑星もまた、獣帯の中で各々固有の運動をする。このようにして、天動説は天体の動きを自然に説明することができた。

天球の概念の萌芽は、バビロニア天文学において大地を取り巻く獣帯が設定されたことにある。紀元前4世紀の古代ギリシアの天文学者エウドクソスが同心球体説に基づく天動説の理論を作った[4]。この時点では、ギリシャの天文学派観測や数値的な理論において未熟だったが[5]、やがてバビロニアの成果を取り込んで独自の幾何学的な数理天文学を確立し、2世紀クラウディオス・プトレマイオスアルマゲスト』においては、簡潔な理論で主要なデータを十分な精度で説明できた[6]

天動説的な宇宙論の天が大地を包み大地は球であるという主張は、さまざまな問題を生じた。例えば、なぜ重い物体は地表に向かうのか、天体はなぜ地表に落ちてこないのか、なぜ地球は宙に浮き、ふら付かずに静止できるのか、といった問題である。紀元前4世紀のアリストテレス天体論』はこういった問いを扱った。

アリストテレスは、当時の天文学者たちの学説、とくにエウドクソスの説に依拠して、自らの宇宙論をくみ上げた。アリストテレスの説明は、地球の中心=世界の中心に特別な役割を担わせている。重い物体は世界の中心に向かって直進し、軽い物体は離れていくとしたのである。天界は月下の大気圏内とは異なる原理が働き、天体は世界の中心の周りを等速回転するとした。そして、地球を中心とした円運動は、透明な固体の球の回転という物理的な実体を与えられた。そして、世界は月下の生成消滅常ならぬ世界と、不変な天界に二分された。このような世界観に基づいたアリストテレスの自然学は、自然現象を説明する基本原理として、様々な批判はありつつも近代に入るまでは大枠としては受け入れられることになる。

プトレマイオス以前のある時期に、ギリシャの数理天文学はインドに伝わり、紀元4世紀ごろから在来の要素も合わさって新たなインド流の天文学が生まれる[1]。ただし、アリストテレス的な宇宙論は伝わっておらず、円運動を実在する球体の回転と捉えることはなかった。また、天文学者たちは伝統的な須弥山説を否定し[7]、適度にその要素もとりこんだ地球球体説基づく宇宙論を展開した[2]。だが、この新たな宇宙論が一般的に受け入れられたわけではなく、伝統的な宇宙論と併存する。

インド的な天文学は逆に西に伝わり、セヴェルス・セボフトはインド天文学を「ギリシア天文学よりも優れた天文学」と言及している[8]。その後インドの天文学は独自の紆余曲折を経て、15世紀ー16世紀のケーララ学派のニーラカンタにおいて、ティコ・ブラーエとある点では比較できる水準に達する[9]

中世アラビア語圏の天文学は、まずはインドの影響の色濃いペルシア天文学から出発する[10]。のちに総合的により優れた『アルマゲスト』が主体になるが、インド的な要素も取り入れられられる。特に三角法などの計算手法はインド系がむしろ主流になる。中世アラビア語圏や13世紀以降のラテン語圏では、天文学は、占星術や宗教的儀式の日時の決定、緯度や経度、方角の測定といった実用的な側面から社会的に一定の需要があり、観測体制は古代ギリシア・ローマ時代よりも充実し、機器や技術も進歩した。そして、数理面での整備もあいまって、天体の運行についての理解は大いに深まった。

ただし現代的な視点でふりかえると、天動説的な数理天文学には以下のような問題があった。
天動説には、天体の間の距離を決める手掛かりが非常に少なかった。各天体の軌道を、地球を中心にバラバラの比率で拡大・縮小しても、観測の説明には全く齟齬を生じないからである。観測技術の問題もあり、プトレマイオスの天体間の距離の議論には、問題が多かった。

惑星はある軌道面からほぼはみ出すことなく太陽の周りを公転している。しかし、これを地球中心にみると、太陽の軌道(黄道)からのずれ(黄緯)が複雑に振動しているように見える。『アルマゲスト』の黄緯の理論は過度に複雑で、実用上も理論上も様々な難点を生じた[11]

地球中心の視点では、内惑星と外惑星の運動の様子が全く異なって見える。この理由を説明する論理は、天動説の中にはなかった。そして『アルマゲスト』においてもニーラカンタ以前のインドの体系においても、内惑星と外惑星で理論の作り方に違いがあった[12]

以上のような問題はあったものの、当時主要な問題とされた太陽や月、惑星の黄道座標については、中世の観測精度の範囲内では十分な理論的な基礎を提供していたといってよい。

その一方、プトレマイオスの体系が必ずしもアリストテレス自然学に合致してないことが注意された。プトレマイオスの宇宙論は、大枠ではアリストテレス的であった。しかし、独自の思想的な背景や、観測に合致させる必要性から、アリストテレスの自然学から外れた点もあった。後者の例は、周転円などの地球を中心としない回転や、回転速度の変化をゆるすエカント、そして周転円の傾きの上下振動などがあった。アリストテレス自然学では、天体の運動は(厳密には地球を中心とする)等速回転しか認められなかった。そこで、『アルマゲスト』の現象説明能力をもちつつ原理的な問題のない理論が、宇宙論の重要な問題とされた。まずアラビア語圏で議論が本格化し、その影響をうけてラテン語圏でも議論が活性化し[13]、コペルニクスの新体系誕生の無視できない背景を成す。

この自然学とプトレマイオス天文学の関係についての議論には、哲学者たちも大いに関与した。アラビア、ヘブライ、ラテンを問わず、多くの名のある哲学者がこの問題に対して見解を残している。宇宙の構造論は魂論(霊魂論、心理学)や形而上学とも関係づけられた。哲学者の中には、自ら本格的に天文学の研究に乗り出した者もいる。

天体の配置など簡単な宇宙論は一般的な知識人の関心も高く、そういった内容を数学を用いずに解説した書物もあり、百科全書的な書物にも簡単な宇宙論は紹介されていた[14]。ルネッサンス期には、神が地球を宇宙の中心に据えたのは、それが人間の住む特別の天体だからだとされた。地球は宇宙の中心であると共に、全ての天体の主人でもある。全ての天体は地球のしもべであり、主人に従う形で運動する。14世紀に発表されたダンテの叙事詩『神曲』天国篇においても、地球の周りを月・太陽・木星などの各遊星天が同心円状に取り巻き、さらにその上に恒星天、原動天および至高天が構想されていた。このように天動説は文化的に深く社会に根付いており、それゆえ、天動説から地動説への変化は科学内部の出来事では済まされなかった。

16世紀、コペルニクスは『アルマゲスト』の様々な矛盾を契機にして地動説を打ち出す。


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