天までとどけ
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この項目では、TBSのテレビドラマ「天までとどけ」シリーズについて説明しています。その他の用法については「天までとどけ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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『天までとどけ』(てんまでとどけ)は、TBS系「愛の劇場」枠(月 - 金曜日13:00 - 13:30)で1991年平成3年)から1999年にわたり放送されていた、大家族をテーマとしたホームドラマシリーズ。産経新聞の15人家族の記者一家について記したルポルタージュ本を原作として、プロダクション「総合企画アンテンヌ」が製作。1999年からは続編が公開されている。
概要

産経新聞各務英明・坂井清が同僚について記した『天までとどけ 大山家の八男五女』(グラフ社)を、総合企画アンテンヌの高橋泰プロデューサーが読み、世帯当たり子供1・5人(当時)の時代に「十三人もの子供を産んで育てている家族が現実にあることに驚き、そのとき同時にかつて“ただいま11人”(TBS)いう大家族ドラマがヒットしたなとフッとひらめいた」。

ただし、もともとは「愛の劇場」と同じく花王が一社提供していた『花王ファミリースペシャル』(関西テレビ制作・フジテレビ系)のために1時間ドラマ4本で企画したものだった。

原作本をNHK総合テレビたけしくん、ハイ!』などで知られる布勢博一が再構築し、1991年平成3年)放送され、シリーズの最高視聴率19%という昼のドラマとしては驚異的な高視聴率を記録した[1]。ドラマの劇中で“毎朝新聞”となっている部分は産経新聞のことである。

視聴者から「心温まるドラマを久しぶりに見た」などと再放送・続編を希望する投書が約5000通も届いたため、『挫折』をテーマにして第2弾を翌1992年の夏休みに放送したところ、再び最高視聴率17・1%(平均14・2%)を記録。ドラマを見ていた小学6年生の女児から「学校で『臭い、汚い』とイジメられているが、これ(このドラマ)を見ると頑張ろうという気持ちになる」と投書が届くなど大反響を呼び、以後、愛の劇場の名シリーズとして第8弾(1999年春)まで続いた[2]

好評を得ていたが、出演子役らの成長によりスケジュールの都合がつき難くなったことや、母親役を一貫して演じていた岡江久美子の他の仕事への影響(特に1996年秋からTBSで平日朝の帯番組はなまるマーケット』の司会を担当し始めたことなど)に伴い、一度完結した。

次男役の河相我聞がシリーズ中にかなりの売れっ子タレントとなって他の仕事のスケジュールと撮影が合わなくなり「海外留学や他県に下宿に行っている」という設定で一時期出演から離れていたエピソードもある。

パート1 - 5の平均視聴率は13.1%であった。

1993年には同じスタッフで子役キャスト総出演の料理バラエティドラマ「ネ?コの手」(TBSローカル、土曜17:00 - 17:30)が製作されている。
特徴

1999年(平成11年)春に丸山家の『天までとどけ』は完結したが、1999年12月に装いも新たに杉本家の『新・天までとどけ』シリーズがスタートし、2004年の第5弾「新・天までとどけ5?最終章?」をもって完結した。

涙くんさよなら」や「みかんの花咲く丘」が主題歌として使用された。
天までとどけ

天までとどけ
ジャンル
テレビドラマ
原作各務英明、坂井清(共に産経新聞
脚本布施博一
久松真一
難波江由紀子
監督鈴木晴之
川田理
中村金太
出演者岡江久美子
若林しほ
佐藤晃市
河相我聞
金杉太朗
須藤公一
綿引勝彦
製作
制作TBS

放送
放送国・地域 日本

天までとどけ
プロデューサー澤田隆治
後藤史郎
浜井誠
オープニング川越美和涙くんさよなら
放送期間1991年3月4日 - 5月24日
放送時間月 - 金曜13:00 - 13:30
放送枠愛の劇場
放送分30分
回数60
BS-TBS

天までとどけ2
プロデューサー後藤史郎
浜井誠
高橋泰
エンディング川越美和「大好きをあげたい」
放送期間1992年7月20日 - 8月28日
放送時間同上
回数30
BS-TBS

天までとどけ3
プロデューサー高橋泰
弘田九三
田中満
オープニングEmu「涙くんさよなら」
放送期間1994年2月21日 - 4月22日
放送時間同上
回数45
BS-TBS

天までとどけ4
プロデューサー木川康利
オープニング川越美和「涙くんさよなら'95」
放送期間1995年2月20日 - 4月14日
放送時間同上
回数40
BS-TBS

天までとどけ5
プロデューサー高橋泰
七度理
オープニング川越美和「涙くんさよなら」
放送期間1996年2月19日 - 4月12日
放送時間同上
回数40
BS-TBS

天までとどけ6
プロデューサー高橋泰
弘田九三
オープニング川越美和「涙くんさよなら」
放送期間1997年2月17日 - 4月11日
放送時間同上
回数40
BS-TBS

天までとどけ7
プロデューサー高橋泰
山村俊史
オープニング安達祐実「涙くんさよなら」
放送期間1998年4月6日 - 5月29日
放送時間同上
回数40
BS-TBS

天までとどけ8
オープニング安達祐実「涙くんさよなら」
放送期間1999年3月22日 - 4月9日
放送時間同上
回数15
BS-TBS
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放送時期
1991年3月04日 - 5月24日、全60話 主題歌: 川越美和涙くんさよなら[3]

1992年7月20日 - 8月28日、全30話 主題歌: 川越美和「大好きをあげたい

1994年2月21日 - 4月22日、全45話 主題歌: Emu「涙くんさよなら」[4]

1995年2月20日 - 4月14日、全40話 主題歌: 川越美和「涙くんさよなら'95」

1996年2月19日 - 4月12日、全40話 主題歌: 川越美和「涙くんさよなら」

1997年2月17日 - 4月11日、全40話 主題歌: 同上

1998年4月06日 - 5月29日、全40話 主題歌: 安達祐実「涙くんさよなら」[5]

1999年3月22日 - 4月09日、全15話 主題歌: 同上
愛媛県では、パート1・2は南海放送(日本テレビ系列)で遅れネットで放送され、パート3 - 8はあいテレビで同時ネットで放送された。南海放送における「愛の劇場」作品の放送はパート2が最後となった[注 1]。これにより、当枠のTBS系列外でのネット局は、秋田放送(日本テレビ系列)・福井放送(日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局)の2局のみとなり、当枠終了まで継続された。
オープニングのロケ地

パート1 - 5:
こどもの国

パート6: 群馬サイクルスポーツセンター

キャスト
丸山家

父は新聞記者、母は専業主婦団地の部屋をベランダ経由で2軒つなげて使っている。5人目以降、子供たちの名前には数字が使われている。
母・定子(さだこ)
演 - 岡江久美子専業主婦→編集プロダクション「タイムリー」でパート(7)パート1では心臓に穴が開いているにもかかわらず赤ちゃん(十実子)を産み、その後心臓の手術を行った。パート4ではB型肝炎にかかり入院する。パート5では雄平の入院の看病で胃潰瘍狭心症になり一週間寝こむ。


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