「天の川」のその他の用法については「天の川 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
志賀高原横手山頂ヒュッテから撮影された夏の天の川
天の川あるいは天の河[1](あまのがわ、英: Milky Way)は、地上から観察される銀河系の姿である。特に肉眼では銀河系に属する恒星のほとんどは遠すぎて星として見分けることができないため、夜空を横切るように存在する雲状の光の帯として見える。
東アジアの神話では夜空の光の帯を、川(河)と見ている(→#東アジアの神話)。一方、ギリシャ神話では、これを乳と見ている。それが継承され英語圏でもミルキーウェイ (Milky Way
) と言うようになった。(→#ギリシャ神話)この光の帯は天球を一周しており、恒星とともに日周運動を行っている。
日本では、夏と冬に天の川が南北に頭の上を越える位置に来る。これをまたいで夏には夏の大三角が、冬には冬の大三角が見える。他の星も天の川の周辺に多いので、夏と冬の夜空はにぎやかになる[2]。
現在では「天の川」や「Milky Way」という言葉で、天球上の(視覚的な)帯だけでなく、地球を含む星の集団、つまり天の川銀河を指すこともある。(→#天文学における天の川 )
東アジアの神話「七夕」も参照
中国・日本など東アジア地域に伝わる七夕伝説では、織女星[3]と牽牛星[4]を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。(詳細は七夕の項目で参照可。)空が澄み明瞭に見えることが多い沖縄県の琉球語首里方言では「天河原」(てぃんがーら)と称される。 ギリシャ語では夜空の光の帯を「γαλαξ?α? (galaxias)」もしくは「kyklos galaktikos」と言う。kyklos galaktikos は「乳の環[5]」という意味。 それにまつわるギリシャ神話を紹介する。 ゼウスは、自分とアルクメーネーの子のヘーラクレースを不死身にするために、女神ヘーラーの母乳をヘーラクレースに飲ませようとしていた。しかし、嫉妬深いヘーラーはヘーラクレースを憎んでいたため母乳を飲ませようとはしなかった。一計を案じたゼウスはヘーラーに眠り薬を飲ませ、ヘーラーが眠っているあいだにヘーラクレースに母乳を飲ませた。この時、ヘーラーが目覚め、ヘーラクレースが自分の乳を飲んでいることに驚き、払いのけた際にヘーラーの母乳が流れ出した。これが天のミルクの環になった。 英語での名称「Milky Way」もこの神話にちなむ。 天の川について、古代ギリシャのデモクリトスは遠方にある星だと述べたが、アリストテレスは大気上層部の現象だと考えた。これに対しては6世紀のヨハネス・ピロポノスなどから「気象現象にしては形が一定すぎるうえに視差(場所による見える角度のずれ)もない」といった反論があったが、データに基づいた緻密な検討はなかった。10?11世紀のイスラム圏の学者イブン・ハイサムは、プトレマイオスと自らの観測データを併せて用い、天の川の視差を検討し、月よりも(おそらくは非常に)遠くにある現象だとしている。 1610年にガリレオ・ガリレイが光学望遠鏡を用いて、天の川は無数の星の集まりだと確認した。以後、天文学の進展とともに、「天の川」ないし「Milky Way」の実体は膨大な数の恒星の集団であると次第に理解されるようになった。 現在では、我々の地球を含む太陽系は、数ある銀河のひとつ(=「天の川銀河」)の中に位置しており、我々はこの銀河を内側から見ているために天の川が天球上の帯として見える、と解説される。 天の川銀河の中心はいて座の方向にある。なお、天の川のあちこちに中州のように暗い部分があるのは、星がないのではなく、暗黒星雲があって、その向こうの星を隠しているためである。この黒い中州をインカの人々はカエルやヘビなどの動物に見立てていた[6]。 いて座、さそり座、みなみのかんむり座、さいだん座、じょうぎ座、みなみのさんかく座、おおかみ座、コンパス座、ケンタウルス座、はえ座、みなみじゅうじ座、りゅうこつ座、ほ座、とも座、らしんばん座、こいぬ座、おおいぬ座、いっかくじゅう座、オリオン座、ふたご座、おうし座、ぎょしゃ座、ペルセウス座、カシオペヤ座、ケフェウス座、とかげ座、はくちょう座、こぎつね座、や座、わし座、いるか座、へびつかい座、へび座(尾部)、たて座、とびうお座、ふうちょう座、カメレオン座
ギリシャ神話
天文学における天の川
天の川と領域が重なる主な星座
Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef