天と地と
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1969年のNHK大河ドラマについては「天と地と (NHK大河ドラマ)」をご覧ください。

天と地と
作者海音寺潮五郎
国日本
言語日本語
ジャンル歴史小説
発表形態雑誌連載
初出情報
初出.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

週刊朝日

1960年 - 1962年

出版元朝日新聞社
刊本情報
刊行『天と地と』上巻、下巻
出版元朝日新聞社
出版年月日1962年
総ページ数

上巻:366頁

下巻:334頁

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『天と地と』(てんとちと)は、海音寺潮五郎歴史小説戦国時代、天才的な軍略の才で越後国を統一し、甲斐国武田信玄と名勝負を繰り広げた上杉謙信を描く。

1960年から1962年まで『週刊朝日』誌上で連載された。
概要

上杉謙信の出生から実父に疎まれながら成長した少年時代、年少の身で華々しい軍功を上げて越後の統一を成し遂げ、天才的な武将として名を轟かせて関東管領に就任し、宿敵・武田信玄との最大の戦いである川中島の戦い(第四次)に至るまでを扱う[注 1]

海音寺は謙信を主人公にしたことについて、「川中島の戦いは古来、文学として数多く取り上げられているが、ほぼ全てが武田側からの視点で描いたものであり、上杉側から描いたものは目にしたことがなかった。未開の野を開拓する気持ちも込めて、謙信を取り上げることにした」と語っている。かねてより海音寺は「日本人に日本歴史の常識を持ってもらいたい」という考えを持ち、歴史の真実を伝えることに主眼を置く史伝形式の作品を多数執筆していた。その代表作が『武将列伝』であり、この作品の連載で信玄を取り上げたいと依頼されてその事績を調べめたものの、調べるうちにライバルである謙信の持つ魅力に強く惹きつけられるようになった。『武将列伝』の中で謙信を書きたいと思ったものの結局その機会は訪れず、連載終了から数年後に『週刊朝日』編集長の田中利一(当時)から連載小説の仕事を打診されたことにより、謙信を主人公にした小説を執筆することとなったという[1]

1969年には、NHK大河ドラマ第7作『天と地と』としてテレビドラマ化された。また1990年には角川春樹事務所により映画化され、この映画の公開連動企画としてテレビドラマ『天と地と?黎明編』も製作された。2008年にもスペシャルドラマ化され、テレビ朝日系列で放送されている。
あらすじ

越後国の守護代・長尾為景の子・虎千代は、出生の経緯から実子であるかを疑われ、父の愛情を受けることなく成長した。不遇な幼少期を過ごした虎千代であったが、しかし長じるにつれて近習が眼を見張るような聡明な少年に育つ。殊に負けん気が強く気に入らないことは毅然として撥ねつける気性と、道理に合わぬことは子供とは思えぬ賢しさで論駁する利発さは幼いながらも英傑の片鱗を窺わせた。が、為景の態度は変わることはなく、元服して「喜平二景虎」と名乗りを与えた後も息子を疎んじ続け、何かと理由をつけて身辺から遠ざけようとし、ついには居城の春日山城から追い払った。

やがて為景は隣国越中での戦で戦死し、その跡を嫡男の晴景が継ぐものの、ほどなく同族の長尾俊景が晴景の守護代就任に不満を持ち反乱を起こした。凡庸な晴景の器量を危ぶむ声は従前より囁かれており、俊景が蹶起するや多くの豪族がたちまちその麾下に随従した。越後は分裂状態に陥ったものの、怠惰な晴景は酒色に惑溺して家臣の諌めも聞かず、偸安の生活に耽るばかりであった。一方、景虎は越後随一の有力者である宇佐美定行に引き取られ、彼の下で兵学の教示を受け、次第に軍略の才能を開花させてゆく。定行の城に寄寓する中、景虎は定行の娘の乃美とも知り合い彼女に心を惹かれるが、不器用な性格から胸の内の想いを伝えることができなかった。一通り兵学を修めた後、諸国巡歴の旅に臨んだ景虎は、甲斐国において国主・武田晴信の行列に遭遇する。若くして守護の座に就き、すでに名将として諸国に名を知られたその勇姿は景虎の心に強く焼きついた。

若き景虎に内乱を鎮め得る大器を見出した定行は決起を説き、景虎は寡兵をもって俊景相手に軍を上げる。戦上手で知られた俊景であったが、景虎はこれをまるで手玉に取るかのようにして鮮やかに討ち取った。初陣を見事な戦勝で飾った景虎に世情は驚嘆し、軍神毘沙門天の申し子ではないかと言いさざめいた。年少の身で華々しい軍功を上げた景虎の評判は国を覆わんばかりに広まるものの、兄の晴景はこれを快く思わずその名声を嫉み、ついには暗殺者を仕向けるも景虎は辛うじて難を逃れる。父に愛されない上に兄にまで殺されかけた我が身を景虎は慨嘆するが、定行はいまこそ晴景を追い落として守護代の座に就くべきと鼓舞し、景虎は兄と戦うことを決断する。その脳裏には甲斐の守護となるため実父を追放した、かの武田晴信の姿があった。晴景の軍を破った景虎は兄を隠居させ、春日山城に居を構えて抵抗勢力も鎮圧し、越後の再統一に成功する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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