大黒将志
[Wikipedia|▼Menu]

大黒 将志

名前
カタカナオオグロ マサシ
ラテン文字OGURO Masashi
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1980-05-04) 1980年5月4日(44歳)
出身地大阪府豊中市
身長178cm
体重73kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足[1]

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1999-2005ガンバ大阪 101 (48)
2001→コンサドーレ札幌 (loan) 4 (0)
2006グルノーブル 19 (6)
2006-2008トリノFC 10 (0)
2008-2010東京ヴェルディ 53 (23)
2010→横浜FC (loan) 16 (12)
2010→FC東京 (loan) 22 (7)
2011-2013横浜F・マリノス 53 (12)
2013杭州緑城 24 (4)
2014-2018京都サンガF.C. 110 (48)
2016→モンテディオ山形 (loan) 26 (9)
2018→栃木SC (loan) 40 (12)
2019-2020栃木SC 29 (6)
代表歴2
2005-2008 日本22 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
2. 2008年8月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大黒 将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は、大阪府豊中市出身[1][2]の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)[1]。元日本代表
来歴
ユース時代

5歳の時に[3] 兄の影響で[2]サッカーを始める。小学1年次より豊中SSに所属し、3年次からは元日本代表FW釜本邦茂が代表を務めていた釜本FC(ガンバ大阪ジュニアの前身)でもプレー。4年次からは、釜本FCより移管されたG大阪ジュニアでのプレーに専念。

中学校入学と同時にG大阪ジュニアユースに昇格。当時はセレクションが無く、100人以上の選手を抱える大所帯だったが、Aチーム(1軍)入りを続け[3]、中学卒業後はG大阪ユースに昇格。ユースチーム所属時にはFWとMFでプレー[2]。高校3年次にFWとして定着し、ユース同期である二川孝広[2]とともにクラブユース選手権を制した。その後に開催された高円宮杯全日本U-18選手権では決勝戦で藤枝東高校に敗れ、準優勝となった。
ガンバ大阪時代

1999年ガンバ大阪トップチームに昇格。同年3月、市原戦でJリーグ初出場[1]2000年3月のV川崎戦でJリーグ初得点[1]。FWの選手層が厚かったことからMF(ウイングバックなど)で起用されることもあった[2]
コンサドーレ札幌時代

2001年、試合出場経験を積むために自ら志願して[2]コンサドーレ札幌期限付き移籍。ポジションを奪うことは出来なかったものの、監督・岡田武史の下で練習に取り組む姿勢を改め[2]、手応えを掴む1年となった[4]
ガンバ大阪復帰

2002年、G大阪に復帰した。復帰当初は中盤の攻撃的なポジションで起用されていたが、本来のポジションであるFWで勝負をさせてほしいと監督の西野朗に直訴[5]2004年にFWとしての才能が開花し、Jリーグ得点ランク2位、日本人選手最多となる20得点[1][注 1]を挙げ、同年のJリーグベストイレブンに選出された[1]

2005年はアラウージョフェルナンジーニョと組んでG大阪の攻撃の核としてフル回転。リーグ6位の16得点を上げ、G大阪のJリーグ初優勝に貢献した。
グルノーブル時代

2006年1月には当時日本企業のインデックス社がオーナーであったフランスのクラブチーム「グルノーブル・フット38」(フランスリーグ2部所属)へ完全移籍。思うように味方からのパスが出ないもどかしさを抱えながら[7] 5試合のフル出場を含め19試合6得点(2005-06に17試合5得点、2006-07に2試合1得点)。
トリノ時代

2006年8月、ヨーロッパの移籍期限間近である8月31日にセリエAトリノFCへの移籍が決定。大黒自身の以前からの夢であったセリエAへの移籍が実現したが、練習試合で得点を重ねてアピールするも、公式戦ではFWでのプレー機会に恵まれなかったこともあって[8] 無得点に終わり、イタリアでの挑戦は消化不良に終わった。
Jリーグ復帰後

2008年6月30日東京ヴェルディに完全移籍で加入することが発表され日本復帰。退団したエースFWフッキの穴埋めを期待されたが、チームにフィットするのに時間を要したこともあり、チームは低迷し、J2に降格。翌2009年も東京Vに残留し、J2を舞台に21得点を挙げたが「(攻撃は)1人じゃ厳しい[9]」と孤軍奮闘は否めず、チームの親会社変更など雑音も多くJ1昇格はならなかった。2010年、東京Vの経営難により移籍を余儀なくされたが[9][10][11]、東京Vとは2011年末までの契約を結んでおり[10][11][12] 完全移籍では高額の移籍金が発生するため、J2・横浜FCに期限付き移籍。2度のハットトリックを達成するなど[13] 16試合で12得点を挙げ、前年に続き活躍を見せた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:116 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef