大鵬幸喜
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大鵬 幸喜

大関時代の大鵬(1961年5月場所)
基礎情報
四股名納谷 幸喜→大鵬 幸喜
本名納谷 幸喜
(別名:住吉 幸喜/イヴァーン・ボリシコ)
愛称コンピューター・北海の白熊
負けない○○
生年月日1940年5月29日
没年月日 (2013-01-19) 2013年1月19日(72歳没)
出身北海道川上郡弟子屈町
(出生地は樺太敷香郡敷香町
身長187cm
体重148kg
BMI43.75
所属部屋二所ノ関部屋
得意技左四つ、寄り掬い投げ上手投げ
成績
現在の番付引退
最高位第48代横綱
生涯戦歴872勝182敗136休(87場所)
幕内戦歴746勝144敗136休(69場所)
優勝幕内最高優勝32回
十両優勝1回
三段目優勝1回
敢闘賞2回
技能賞1回
データ
初土俵1956年9月場所
入幕1960年1月場所
引退1971年5月場所
趣味野球麻雀(現役時代)[1][2]
備考
金星1個(朝潮1個)
2019年7月3日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年昭和15年)5月29日 - 2013年平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱[3]位階正四位。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(?ван Марк?янович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。
来歴
誕生から入門

1940年昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコ[注釈 1]の三男として、日本の領有下にあった南樺太敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた[4]。母親は日本人の納谷キヨ。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した、所謂白系ロシア人であった。なお、南樺太は日本領であったため、大鵬は外国出身横綱にならない。

太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した[注釈 2]。小笠原丸はその後、留萌沖でソ連潜水艦L-12の魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた(三船殉難事件)。その点、同じく焼け跡世代でありながらも戦火とは無縁の山形の自然で伸び伸びと育った柏戸とは対照的である[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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