大韓民国ウォン
???? ?(韓国語)
ISO 4217
コードKRW
中央銀行韓国銀行
ウェブサイト ⇒www.bok.or.kr
使用
国・地域大韓民国
インフレ率0.4%
情報源大韓民国統計庁[1]、2019年
指数CPI
補助単位
1/100チョン(? / jeon)
事実上現金単位としては使われていない。
通貨記号?
複数形この通貨の言語に形態学的な複数形区別はない。
硬貨
広く流通?10
?50
?100
?500
流通は稀?1
?5
紙幣
広く流通?1,000
?5,000
?10,000
?50,000
流通は稀10チョン
50チョン
?2,000(記念紙幣)
紙幣製造韓国造幣公社
ウォン
?
各種表記
ハングル:?
漢字:圓(1953年の貨幣改革以前の表記)
発音:ウォン
ローマ字:Won(英語、2000年式)
W?n(MR式)
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。
大韓民国ウォン(だいかんみんこくウォン、韓: ???? ?)は、大韓民国の通貨単位。通称、韓国ウォン(かんこくウォン)。
韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。
北朝鮮ウォンと共通の事柄(名称、分断前の歴史など)についてはウォンも参照。 2002年のサッカーワールドカップを機に規制緩和され、それまで韓国系銀行に限られていた日本国内での両替が、郵便局や一部の銀行、両替所等でも可能となった。日本では、多くの外国硬貨と同様に硬貨が両替不可能(一部業者を除く)である。また、日本で両替を行うと、韓国で両替を行うよりも顧客にかなり不利な為替レートになるのが通例である。 「ウォン」(?) は「圓(円)」の韓国語読みだが、公式には漢字表記をしない。一方、中国「元」も韓国語読みでは「ウォン」となるが、漢字圏の人を相手にする人たちの間で、まれに韓国ウォンを「元」と漢字表記することもある。 一方、中国語圏では韓国ウォンを、繁体字では「韓圓」または「韓元」、簡体字では「?元」または「??」と表記する。 韓国では、日本円はハングルで「?」(エン)と表記する。また、中華人民共和国の元は「??」(ウィアン、[yuan]→[wian])と表記する。 大韓民国の歴史を通じて1つのウォンが使われていたわけではなく、旧ウォン→ファン→新ウォンと、2回のデノミネーションが行なわれている。 大韓民国ウォンの固定相場 第二次世界大戦が終わった1945年に朝鮮銀行は解体し、朝鮮半島にあった日本の資産は、米ソ軍政府に接収され、後に南の韓国銀行と北の朝鮮中央銀行に引き渡された。 アメリカ軍に接収された南側の朝鮮銀行は、1950年に韓国銀行が設立されるまでの間、日本統治下に引き続いて最初の南朝鮮のウォン(圓、won)を発行した。ウォンの下には補助単位としてチョン[注釈 2](錢、jeon)が置かれ、1ウォンは100チョンだった。 1945年8月時点では1ウォン=1円に固定されていたが、1945年10月に15ウォン=1米ドルとなり、以後は戦後のインフレーションの進行とともに切り下げが進んだ。朝鮮戦争中の1951年4月1日には、ついに1ドル=6,000ウォンとなった[2]。 この時期、当初朝鮮銀行は大蔵省印刷局製造のウォン紙幣のみの発行を継続し、硬貨は日本統治下で通用していた一銭硬貨が使われていた。1946年発行の朝鮮書籍印刷株式会社 1949年発行の5ウォンおよび10ウォン紙幣は、寿老人の肖像に代わり独立門の図案となった。このとき同時に5、10、50チョンなどの小額紙幣も発行された。1950年には大韓民国の中央銀行として韓国銀行が発足したが、直後に勃発した朝鮮戦争でソウルを占領した北朝鮮軍は、予備として保管してあった1000ウォン紙幣や100ウォン紙幣を使用し、大量に流出させた。韓国は新たに日本の印刷庁で製造された韓国銀行券1000ウォン、100ウォン紙幣を発行し、記号により正規に発行されたものと確認できる朝鮮銀行券と交換した(第1次緊急通貨措置)。51年10月、韓国造幣公社 韓国銀行券 [3] 大韓民国ファンの固定相場 朝鮮戦争による荒廃で価値が下落した旧大韓民国ウォンは、1953年2月15日に新通貨ファン(圜、hwan)が導入されたことで役割を終えた。100旧ウォンは1ファンと交換され、1ドル=60ファンとなった(第2次緊急通貨措置)。いまだ低額紙幣が流通していた朝鮮銀行券(10圓、5圓、1圓、50銭、20銭、10銭、5銭の7種類)および日本で発行された1銭硬貨といった、日本時代の残滓といえる通貨の流通は停止され、韓国銀行が発行した圜紙幣だけが唯一の法定通貨となった。合衆国政府印刷局が印刷した1ファン、5ファン、10ファン、100ファン、1000ファン各紙幣が流通し、1959年からはファン硬貨も発行された。
両替
漢字表記
歴史
1945年 旧ウォン(圓)を導入
1953年2月15日 旧ウォンに替えてファンを導入、100ウォン→1ファン(?; 圜)
1962年6月10日 ファンに替えて新ウォンを導入、10ファン→1ウォン(漢字表記なし)
旧ウォン
日付旧ウォン/USD[注釈 1]円/USD(参考)
1945年08月00日15(15)
1947年07月15日50(50)
1948年10月01日450(270)
1949年06月14日
(政府間取引以外)900(360)
1950年05月01日1800(360)
1950年11月01日2500(360)
1951年04月01日6000(360)
画像額幅(mm)色柄日時印刷
表裏表裏発行終了
100158 × 78茶光化門額1950年7月22日1953年
2月17日印刷庁
500145 × 61青李承晩タプコル公園1952年10月10日韓国造幣公社
1000171 × 78緑額1950年7月22日印刷庁
145 × 61青タプゴル公園1952年10月10日韓国造幣公社
ファン
日付ファン/USD
1953年02月15日60
1953年12月15日180
1955年08月15日500
1960年02月23日650
1961年01月01日1000
1961年02月02日1250