大韓民国の歴史年表(だいかんみんこくのれきしねんぴょう)、または、韓国の歴史年表(かんこくのれきしねんぴょう)。
大韓民国臨時政府期(非独立)
1919年
4月13日 - 中国の上海で大韓民国臨時政府(だいかんみんこくりんじせいふ)の樹立を宣言。
1940年
9月17日 - 中華民国の支援を受け、中国の重慶で韓国光復軍を創設。
1945年
8月15日 - 大日本帝国がポツダム宣言を受諾(日本の降伏)、朝鮮の日本統治終了決定。
連合軍軍政期(非独立)詳細は「連合軍軍政期 (朝鮮史)」を参照
1945年
8月25日 - アメリカ軍の進駐部隊が朝鮮半島に初上陸
9月7日 - アメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮(北緯38度線以南の米軍占領地域)に軍政を布くことを宣言。大韓民国臨時政府の承認を拒否する。
9月9日 - 朝鮮総督府が連合国軍(米軍)に降伏
9月11日 - 米軍が占領行政機構として在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を設置
12月16日 - モスクワ三国外相会議
1946年
10月1日 - 大邱10月事件が発生
1948年
2月26日 - 国際連合が国連臨時朝鮮委員団(UNTCOK)の「任務遂行可能な地域」(南朝鮮)単独で新政府樹立のための総選挙実を決定
4月3日 - 済州島四・三事件
5月10日 - UNTCOK監視下で初代総選挙実施。
7月17日 - 第一共和国(制憲)憲法制定
8月15日 - 李承晩が大韓民国政府の樹立を宣言、初代大統領に就任。’’’大韓民国’’’が独立国家となる。
第一共和国期
1948年
5月10日 - UNTCOK監視下で初代総選挙実施。
7月17日 - 第一共和国(制憲)憲法制定
8月15日 - 李承晩が大韓民国政府の樹立を宣言、初代大統領に就任。’’’大韓民国’’’が独立国家となる。
10月19日 - 麗水・順天事件
1949年
10月19日 - 共産党非合法化措置の断行。民主主義民族戦線傘下の南朝鮮労働党など133団体の登録を取り消し。
12月1日 - 国家保安法を制定公布
12月24日 - 聞慶虐殺事件
1950年
5月30日 - 第2代総選挙、反李承晩系の南北協商派と中道勢力が過半数を占める。
6月25日 - 金日成率いる北朝鮮(韓国側呼称:北韓)からの韓国への先制攻撃で、朝鮮戦争勃発。
6月28日 - 朝鮮人民軍、ソウルを占領。(ソウル会戦)
7月26日 - 老斤里事件
夏 - 保導連盟事件
9月15日 - 仁川上陸作戦
9月28日 - 国連軍、ソウルを奪回。
10月 - 中華人民共和国から中国人民志願軍参戦。
1951年
1月4日 - 中朝軍、ソウルを再度占領。
初頭 - 国民防衛軍事件
1月6日 - 江華良民虐殺事件
2月9日 - 居昌良民虐殺事件
3月14日 - 国連軍、ソウルを再奪回。
4月11日 - マッカーサー解任。
12月23日 - 李承晩大統領、与党自由党を結成
1952年
1月8日 - 李承晩ラインの宣言
2月4日 - 第一大邦丸事件
4月25日 - 基礎自治体である市・邑・面の議会議員選挙、翌月の5月10日には道議会の議員選挙が行われた。→1952年韓国地方議会選挙[1]
5月25日 - 政府は「共産ゲリラの掃討」を名目に、釜山と周辺地域23郡に非常戒厳令を布告、翌26日に野党系の国会議員多数がスパイ容疑で憲兵隊に連行され、恫喝される(釜山政治波動)。
7月4日 - 大統領を国会議員による間接選挙制から、国民からの直接選挙で選出する直選制に変更するための憲法改正案が可決される(抜粋改憲)。
8月5日 - 大統領選挙、直接選挙制によって実施された選挙で李承晩大統領が2回目の当選を果たす。
1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦協定締結。北朝鮮との軍事境界線(DMZ)確定。
1954年
5月20日 - 第3代総選挙、与党自由党が過半数の議席を占める。
11月27日 - 大統領に重任制限規定を撤廃する事を主な内容とした憲法改正案が成立要件に必要な3分の2である136名にわずかに達せず否決された。しかし、四捨五入の論理を援用して135名の賛成をもってして改憲案が可決されたことを宣言(29日)、改憲案は与党自由党によって再可決された(→四捨五入改憲)。
1955年
9月18日 - 民主国民党を中心とした反李承晩勢力が結集した保守政党の民主党が結成される。
1956年
5月5日 - 民主党の大統領候補、申翼熙が遊説移動中の列車内で急死。
5月15日 - 大統領選挙、李承晩(自由党)が大統領に3度目の当選を果たす。