大隣憲司
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大隣 憲司千葉ロッテマリーンズ 二軍投手コーチ #78
ロッテ浦和球場にて(2018年)
基本情報
国籍 日本
出身地京都府京都市南区
生年月日 (1984-11-19) 1984年11月19日(37歳)
身長
体重176 cm
88 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2006年 希望入団枠
初出場2007年6月9日
最終出場2018年10月3日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


京都学園高等学校

近畿大学

福岡ソフトバンクホークス (2007 - 2017)

千葉ロッテマリーンズ (2018)

派遣歴


アギラス・シバエーニャス (2011)

コーチ歴


千葉ロッテマリーンズ (2019 - )

国際大会
代表チーム 日本
WBC2013年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2013野球

大隣 憲司(おおとなり けんじ、1984年11月19日 - )は、京都府京都市南区出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。現在は千葉ロッテマリーンズ二軍投手コーチ。
経歴[ソースを編集]
プロ入り前[ソースを編集]

京都市立久世西小学校に入学して間もなく、3年生からしか入部を認められていない久世少年野球部に、グラブを持参して入部を願い、その熱心さにより入部を認められ外野手として野球を始め、3年生から投手に転向した[1]京都市立久世中学校では京都ライオンズで硬式野球を始めて全国大会へ出場した[1]

2000年京都学園高校に入学し、1年からベンチ入りした[2]2002年、3年春の近畿大会では毎試合2桁奪三振を記録し優勝を果たす[2]。しかし夏の大会前に肩を痛め、その影響もあり京都大会準々決勝で敗れた[2](前身の京都商業から京都学園に校名変更してからは初のプロ野球選手である)。

2003年近畿大学に進学し、2年春にベンチ入りした[2][1]2005年の全日本大学選手権でチームは準優勝に終わったが、1試合19奪三振の大会新記録を樹立し[2]、自責点0で最優秀防御率と特別賞を受賞した[2][1]。2006年にも同大会で4強入り[2]。世界大学野球選手権の日本代表にも選出される[2]

同学年で同じ左腕である立命館大学金刃憲人とはライバル関係にあり、何度も熱戦を演じた。金刃と投げ合った4年秋の9月30日の対立命館大学戦(皇子山球場)では自身初のノーヒットノーランを達成した[1]関西学生リーグ通算41試合に登板し22勝11敗、防御率1.14、284奪三振。3年春、4年春にリーグMVPとベストナインを獲得した[1]

2006年11月21日の大学生・社会人ドラフトにおいて最大の目玉とされ、一時は広島東洋カープ以外の11球団が獲得に名乗りを挙げるほどの争奪戦の末、希望入団枠制度で福岡ソフトバンクホークスに入団した[3]。どっしりとした体形から「近大の江夏」と異名を取っていたため[3]、背番号は阪神時代の江夏豊と同じ28となった[4]。ドラフト指名時には「トータルバランスの取れた投手が理想像」と語り、母校・京都学園の大先輩・沢村栄治の名が付く沢村栄治賞の獲得を目標に掲げた[5]
ソフトバンク時代[ソースを編集] ソフトバンク時代(2014年10月2日 福岡ヤフオク!ドームにて)

2007年、キャンプ前の1月26日新人合同自主トレ期間中の午後西戸崎室内合宿所内の階段で足を踏み外して右足をひねり、1月27日福岡市内の病院で検査を受けた結果、右足首第4中側骨の捻挫で全治一週間と診断された[6]。2月21日にはキャンプ中に腰を痛めて再び病院で精密検査を受け別メニュー調整となった[7]。4月29日に四国アイランドリーグ連合相手に二軍先発で実戦デビューして初回に最速146km/hを記録したものの3回5安打2失点と思い通りには投げられなかった[8]。6月2日に出場選手登録され6月9日に広島東洋カープとのセ・パ交流戦でプロ入り初先発し7回3失点(自責2)、2点ビハインドで降板した。8回に松中信彦のスリーランなど一挙4点と逆転し、広島のエース黒田博樹を相手にプロ入り初勝利を手にした。6月18日左前腕部に強い張りを訴え、出場選手登録を抹消[9][10]、8月12日に昇格、対オリックス・バファローズ戦に先発し、地元関西の京セラドーム大阪で初登板を果たすが5回0/3を投げ4失点、プロ初黒星を喫した。8月25日対千葉ロッテマリーンズ戦で先発し6回まで3安打無失点と好投、7回に2つ四球を与えて降板したが6回1/3を無失点、本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームでの初勝利となった。9月は2連敗し、先発8試合2勝4敗、防御率5.98と期待を裏切る形でシーズンを終えた。

2008年、3月25日、開幕ローテーション5枚目に抜擢され本拠地で先発、右打者を9人並べたロッテ打線に対し3回と8回を除いて全て三者凡退に抑えるなど1失点でプロ初完投でシーズン初勝利を記録[11]、チームを2005年以来の開幕5連勝へと導いた。またこの試合でプロ初2桁奪三振(12奪三振)で球団6人目となる毎回奪三振を達成[12]。3月中の毎回奪三振はプロ野球史上初の快挙だった。続く4月2日の対北海道日本ハムファイターズ戦でも先発し、初回に多村仁の先制3点本塁打で3点を貰うと、日本ハム打線に二塁を踏ませない投球で2安打6奪三振でプロ初の完封勝利、前回登板から15イニング無失点、2試合連続の完投、凖本拠地である北九州市民球場での初白星も手にした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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