東洋紡株式会社
TOYOBO CO., LTD.本社が入居する大阪梅田ツインタワーズ・サウス
種類株式会社
市場情報東証プライム 3101
東洋紡株式会社(とうようぼう、英:TOYOBO CO., LTD.)は、大阪府大阪市北区に本社を置く、繊維を中心に化成・バイオ・医薬など高機能製品の開発・製造を行う日本の大手化学企業。東証プライム上場(2023年まで日経平均株価の構成銘柄の一つであった[1])。旧東洋紡本社ビル 1882年(明治15年)創業の日本の紡績業界の名門である。かつての「六大紡(東洋紡・日紡・鐘紡・富士紡・日清紡・日東紡)」の筆頭としてその名を知られているが、現在では繊維以外の部門が高い割合を占める。 旧商号は東洋紡績株式会社(とうようぼうせき)だが、2012年(平成24年)に従来の通称を用いた商号変更を実施した。一時期は「ゆたかな未来のパートナー」「生活創造企業」「Ideas & Chemistry」のスローガンを掲げていたが、2022年5月以降は「Beyond Horizons」をスローガンとしている。
概要
社史
沿革
1879年(明治12年)- 山辺丈夫(初代社長)が渋沢栄一・藤田伝三郎・松本重太郎等財界人の援助により、紡績事業計画を策定する。
1882年(明治15年)- 東洋紡の基盤となる大阪紡績株式会社を設立する。日本初の本格的な紡績会社として操業を開始する。三重紡績所運転開始[2]。
1886年(明治19年) - 三重紡績株式会社を設立する。三重紡績所を主力工場にして企業合併で繊維工場設備を吸収する[2]。
1888年(明治21年)- 金巾製織株式会社を設立する。
1906年(明治39年)- 金巾製織と大阪紡績が合併する。
1914年(大正3年)- 大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式会社が設立される。
1923年(大正12年)- 伊勢紡織を合併する。
1926年(昭和元年)- 名古屋絹紡を合併する。
1927年(昭和2年)- レーヨン事業に進出する。
1931年(昭和6年)- 大阪合同紡績(1900年1月設立)を合併する[3]。
1932年(昭和7年)- 井波工場操業開始[3]。
1935年(昭和10年)- 入善工場操業開始[3]。
1936年(昭和11年)- 和泉紡績を合併する。
1941年(昭和16年)- 吉見紡織、和泉織物、内外紡績、琴浦紡績を合併する。
1942年(昭和17年)- 福島人絹、東洋毛絲紡績、東洋毛織工業、日本毛絲紡績を合併する。
1947年(昭和22年)- 昭和天皇が忠岡工場に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[4]。
1949年(昭和24年)- 株式を公開する。東洋染色を合併する。
1951年(昭和26年)- 東洋紡ニューヨーク事務所を設立、海外進出の強化を図る。
1955年(昭和30年)- 戦後日本の海外進出の先駆け、「東洋紡ブラジル」を設立。
1956年(昭和31年)- 合繊事業への進出。
1958年(昭和33年)- アクリル繊維の生産を開始。
1963年(昭和38年)- フイルム事業へ進出。
1966年(昭和41年)- 呉羽紡績(1929年7月設立)を合併する。
1970年(昭和45年)- プラスチック事業に進出。
1972年(昭和37年)- バイオ事業に進出。
1975年(昭和51年)- ポリエステルスパンボンドの生産を開始。
1978年(昭和53年)- 機能膜事業へ進出。
1982年(昭和57年)- 創立100周年を迎える。東洋紡百周年記念バイオテクノロジー研究財団を設立。遺伝子工学用酵素の研究開発を開始。
1983年(昭和58年)- 電子材料の開発を本格化。
1988年(昭和63年)- 東洋紡ペットコード
2001年(平成13年)- 日本マグファンを合併する。
2010年(平成22年)3月1日 - 東洋化成工業を合併し、当社精密化学品事業本部とする。
2012年(平成24年)- 創立130周年を機に商号を東洋紡株式会社に変更。
2013年(平成25年)- ポリエステル繊維を使ったタイヤコード事業から撤退[5]
2015年(平成27年)- ペットボトル用樹脂の製造中止とポリエステル樹脂原料事業からの撤退を発表[6]。