大阪日日新聞
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大阪日日新聞

大阪本社(大阪市北区中津)
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者(株式会社大阪日日新聞社→)
(株式会社ザ・プレス大阪→)
株式会社新日本海新聞社大阪本社
本社(大阪府大阪市中央区博労町2-6-8→)
大阪府大阪市北区中津6-7-1
鳥取県鳥取市富安2-137
代表者吉岡利固代表取締役社主
創刊1946年昭和21年)2月1日
廃刊2023年令和5年)7月31日
前身帝国新聞
(1910年 - 1912年)
大阪日日新聞(初代)
(1912年 - 1942年4月30日)
大阪新聞(現・産経新聞
(1942年5月1日 - 1946年1月31日)
言語日本語
価格1部 100円
月極 2,050円
発行数5,216部(2022年10月、日本ABC協会調べ[1]
ウェブサイト ⇒www.nnn.co.jp/dainichi/
株式会社 新日本海新聞社大阪本社

本社所在地 日本
〒531-0071
大阪府大阪市北区中津中津6-7-1
業種情報・通信業
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大阪日日新聞(おおさかにちにちしんぶん)は、大阪府朝刊専売の地方新聞である。鳥取県に本社を置く新日本海新聞社から発行されていた。発行部数は5,216部(2022年10月、日本ABC協会調べ[1])。
概要「産経新聞#題字と地紋、およびその配置」および「前田久吉#新聞戦時統合へ」も参照

1910年明治43年)に「帝国新聞」として創刊し、1912年(明治45年・大正元年)に現在の題号となる。1942年昭和17年)太平洋戦争第二次世界大戦)による新聞事業令に基づく新聞統制に伴い、「夕刊大阪新聞」(現・産経新聞大阪本社)に統合し休刊。1946年には夕刊専売紙として復活した[2]

同年より毎年夏に花火大会などのイベント「水都祭」を主催。高度経済成長時代に突入した1960年代後半 - 80年代には、帰宅途中のサラリーマンに照準を絞りゴシップ記事(山口組の動向などヤクザ関係の話題が多かった)・風俗・スポーツ・ギャンブル(地元の住之江競艇関連のものが多かった)関連の記事を多く掲載。1983年 - 1991年平成3年)までは題字をカタカナの「ニチニチ」としていた時期もあった。

大阪日日新聞社は1991年8月に、男性向け総合情報娯楽雑誌「BigDays」(ビッグデイズ。月2回刊。日本全国の書店コンビニエンスストアにて販売)を創刊した。しかし「BigDays」は、部数や売り上げの低調などで創刊から僅か数か月で休刊し、大阪日日新聞社の全国展開は失敗した。

1991年10月から方針を転換し、「大阪日日新聞」の題字を復活(「ニチニチ」も併用)したが、ライバル紙との競合により発行部数は大幅に落ち込み、バブル崩壊による関連事業[注釈 1]の収支悪化が追い打ちをかけたことで経営が立ち行かなくなり、2000年8月23日に鳥取県で日本海新聞を発行する新日本海新聞社に救済される形で買収された[注釈 2][3]。それに伴い夕刊紙からリニューアル、同年10月より朝刊(専売)による地方紙に転換[注釈 3]した。編集局は新日本海新聞社大阪支社へ統合、紙面の編集・製作・印刷も新日本海新聞社へ全面委託(紙面も一部共有)。紙面は大阪までトラックで輸送している。なお、経営統合の4か月前の2000年4月、新日本海新聞社は兵庫県内の取材強化の目的で姫路支社を開設して播磨版を創刊したものの失敗し半年で廃刊となったが、閉鎖された姫路支社の一部スタッフを大阪日日新聞に配置転換している。

2002年11月に運営会社の社名を「株式会社大阪日日新聞社」から「株式会社ザ・プレス大阪」に変更した。2008年2月1日にザ・プレス大阪は新日本海新聞社(大阪支社)に吸収され、同日より発行元は「新日本海新聞社 大阪本社」となった[4]。合併後は日本新聞協会47NEWS47CLUBには本紙名義では加盟せず、母体紙の日本海新聞が代表して加盟している。

2014年4月14日、新日本海新聞社の傘下となって以来の本社を、大阪市中央区博労町から北区中津の新社屋に移転した。

2023年6月13日朝刊1面社告にて、「社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境」を理由に、7月31日発行の朝刊をもって休刊すると発表[5]した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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