大阪急性期・総合医療センター
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大阪市立総合医療センター」とは異なります。

大阪急性期・総合医療センター

情報
正式名称地方独立行政法人大阪府立病院機構 大阪急性期・総合医療センター
英語名称Osaka General Medical Center
前身某毒院→大阪駆微院→大阪府立難波病院→大阪府立大阪病院→大阪府立病院→大阪府立急性期・総合医療センター
標榜診療科内科 呼吸器内科 消化器内科 心臓内科 糖尿病内分泌内科 腎臓内科 脳神経内科 リウマチ科 血液・腫瘍内科 小児科 精神科 皮膚科 外科 消化器外科 乳腺外科 小児外科 呼吸器外科 心臓血管外科 脳神経外科 整形外科 産科 婦人科 泌尿器科 眼科 耳鼻咽喉科 形成外科 歯科口腔外科 麻酔科 救急科 放射線治療科 放射線診断科 リハビリテーション科 歯科 病理診断科 臨床検査科
許可病床数865床
一般病床:831床
精神病床:34床
機能評価一般病院2(500床以上)(主たる機能):3rdG:Ver.2.0
開設者地方独立行政法人大阪府立病院機構
管理者嶋津岳士(総長)
開設年月日1955年1月
所在地558-0056大阪府大阪市住吉区万代東3丁目1番56号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度37分0.62秒 東経135度30分18.84秒 / 北緯34.6168389度 東経135.5052333度 / 34.6168389; 135.5052333座標: 北緯34度37分0.62秒 東経135度30分18.84秒 / 北緯34.6168389度 東経135.5052333度 / 34.6168389; 135.5052333
二次医療圏大阪市二次医療圏 南部 住吉区 人口 153,056 (区別人口 2020年時点)
特記事項前身は1872年3月、某毒院として開設
PJ 医療機関
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大阪急性期・総合医療センター(おおさかきゅうせいき・そうごういりょうセンター)とは、 大阪府大阪市住吉区にある医療機関病院)である。略称は、府立総合医療センターである。
概要

急性期から回復期に至る一貫したリハビリテーション医療を含めた病院で、基幹災害医療センターとして、大規模集団災害発生時には、被災者の受入れや初期治療を行うなどの役割を担い、疾患と脳血管疾患に対する救急医療を一層充実をし、従来の救命救急部門と併せて救命救急センターとして拡充するとともに、障がい者医療・リハビリテーション医療部門を新設し、急性期から回復期に至る一貫したリハビリテーション医療も行っている。

病院自体のルーツは検某施設として1871年に開設された某毒院であり、公営病院としては150年以上の歴史を持つ。

本記事では前身機関である「某毒院」「大阪駆黴院」「大阪府立難波病院」「大阪府立大阪病院」「大阪府立病院」も記す。
沿革
某毒院

1871年3月 - 民部省の沙汰布告に先立ち、除毒施設として某毒院を開設

同年10月 - 黴毒治療を行う目的で仮施院を設置

大阪駆黴院

1872年3月 - 大阪市西区松島に新設された松島遊郭の一角である松が鼻に遊女の検梅を目的とした専門医院として大阪駆黴院が開設

1883年2月 - 大阪市南区難波新川(現・浪速区難波中)に移転し、新病棟が竣工

1893年4月 - 病棟を増築

府立難波病院

1899年11月 - 大阪府立難波病院に改称。1900年の娼妓取締規則(内務省令)および娼妓健康診断所執行規則(大阪府令)の施行のため、花柳病の診療を目的に設立[1]。遊女のための専門病院として[2]、府下の10遊郭において府の衛生課による健康診断の結果有毒者と決定した娼妓の無料入院を取り扱っていた[1]

1924年7月 - 現在地に移転、病棟5棟と診察棟が竣工。

1939年3月 - 病棟を4棟増築。

1945年3月 - 大阪大空襲により敷地が命中するも焼失を免れるも入院患者全員退院、病棟1棟を戦時疎開命令により撤去し、終戦まで住吉区方面の罹災救護所に転用。

1946年5月 - 内務省令娼妓取締規則及び大阪府令娼妓健康診断規則の廃止、更には大阪府令、花柳病予防特例施行細則制定に伴い、娼妓改め接待婦等を含む業態者に対する検診と性病罹患者の強制入院を行い、娼妓病院としての機能を終える。

府立大阪病院

1946年12月-大阪府立大阪病院に改称。性病診察の他に、皮膚泌尿器科と産婦人科の診療も開始。

1948年8月-内科・耳鼻咽喉科の診療を開始。

1949年2月-外科・眼科の診療を開始。

同年6月-放射線科の診療を開始。

1951年8月-歯科の診療を開始。

1952年9月-病棟の手狭、医療機能を充実をし、総合病院として活用するため、「大阪府立病院改築整備審議会」を設置。

1953年8月-大阪府立森之宮病院を設置し、大阪府立大阪病院での性病診察を移管。

1954年6月-増改築工事着工。

府立病院

1955年1月-大阪府立病院に改称をし、病棟の増改築により11の診療科、病床数330床の総合病院となる。

4月-大阪府立病院付属厚生学院を開設。


1957年5月-第7病棟の新築工事が竣工し、病床数435床となる。

1959年4月-第8病棟の新築工事が完成し、病床数579床となる。

1960年4月-大阪府立病院付属厚生学院の運営を府衛生部医務課に移管。

1963年3月-中央棟(第10病棟)の増築工事が完成し、病床数720床となる。

1964年3月-第7病棟の増築工事が完成し、病床数814床となる。


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