大阪弁
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前田勇の著書については「大阪弁 (前田勇)」をご覧ください。
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大阪弁

大阪市北区天神橋筋商店街にて
話される国 日本
地域 大阪府
言語系統日琉語族

日本語

西日本方言

近畿方言

大阪弁




言語コード
ISO 639-3?
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大阪弁(おおさかべん)は、大阪とその周辺で話される日本語の方言で、近畿方言上方語、関西弁)の一種。ここでは大阪市を中心に大阪府北部(北摂)から兵庫県南東部(阪神間)にかけての旧摂津国の方言を取り上げるが、旧摂津国のうち神戸市とその周辺の方言は「神戸弁」を参照。また、大阪府のうち、旧河内国の方言は「河内弁」、旧和泉国の方言は「泉州弁」を参照。
概要

大阪府の方言は摂津・河内・和泉に大別され[1]、特に泉南地方の方言が最も特異性が強い[2]。大阪府内は大部分が大阪平野であり、大阪市を中心に人的交流が活発であるため、もともと他都道府県と比べると方言の地域差は小さく[2]、伝統方言の衰退・変化が著しい現在では地域差よりも世代差の方が大きくなっている[3]。兵庫県南東部も大阪府との間で交通網が発達していて人々の往来が盛んであり、方言の差はそれほど大きくない。楳垣実と岡田荘之輔は「府県別に方言区画を設定することには、どうしても無理がある」と述べている[4]。神戸市の大部分も旧摂津国であるが、神戸市の方言はアスペクト表現「とる/とー」「よる/よー」や敬語表現「て(や)」など旧播磨国の方言(播州弁)との共通性があり、一線を画す。

大阪は近畿地方経済文化(特にテレビ放送)の中心地であることから、大阪弁は近畿地方一円(場合によっては四国なども)の方言に強い影響力を持ち、漫才などを通じて全国的にも知名度・認知度が高い。京都と同様に大阪では方言への愛着や自負心が強く、地元を離れた時やテレビに出た時にも大阪弁を使い続ける人が少なくない。一方で語彙面を中心に共通語化が進んでおり、他府県からの人口流入もあって大阪弁は変容し続けている。
地域差

大阪府側の摂津の方言について、山本俊治は次のように区分している[5]。狭義の摂津方言が一般的に「大阪弁」とされる方言である[6]

摂津方言(広義)

摂津方言(狭義) - 大阪市豊中市池田市箕面市吹田市

北摂方言 - 能勢町西部[7]・旧止々呂美村・旧細河村


三島方言 - 高槻市茨木市

淀川沿岸方言 - 三島郡島本町三島町)・旧鳥飼村・旧三箇牧村京都方言の影響が見られる。


能勢方言 - 豊能郡豊能町能勢町)。旧歌垣村には京都方言の、天王には丹波方言の影響が見られる。

以上の区画は1962年時点のものであり、その後、方言の地域差はさらに縮小している。2009年、岸江信介は摂津・河内・泉北の言語類似度がかなり高くなっていることを指摘し、それを踏まえて高木千恵は、大まかにいえば現代(21世紀初頭)の大阪府下には「大阪弁」(摂津・河内・泉北)と「泉州弁」(泉南)の二つの方言が存在することになるとした[8]

兵庫県阪神間の方言について、山本俊治は尼崎市西宮市川西市伊丹市宝塚市は大阪方言に、芦屋市は神戸方言に属すとした[9]。鎌田良二は、1958年の調査で住吉川を挟んで敬語表現「はる」と「て(や)」の優勢が変わると突き止め、住吉川が大阪弁と神戸弁の境界をなすと報告している[10](その後、「はる」が優勢な地域は西へ拡大している)。なお、三田市も「て(や)」が優勢な地域である(2010年代の高年層への調査)[11]

なお、現在の大阪市にあたる地域に限っても、江戸時代から明治にかけては、地区や階層によって様々な言葉が存在していた。船場(町人)、島之内(芸人)、天満(役人=江戸訛り)、天王寺(農民)、長町(スラム)、木津(市場商人)など。明治後期以降、大阪市電の路線網の充実化などによって市内各所の交流が活発になるにつれて、市内の言葉は均質化・簡略化していったという[12]
音声大阪市内の質屋の看板。「近畿方言#音声」も参照

舌や唇などをあまり緊張させずに発音することが特徴である。特に高齢層では子音の発音が不明瞭になりやすく、サ行音のハ行音化(例:すみません→すんまへん、七→ひち)やザ・ダ・ラ行の混同(例:淀川の水→よろがーのみる、座敷→だしき。ただし紀州弁ほどではない)、半母音の脱落(例:泳ぐ→おーぐ、変わる→かーる)などが起こる。男性の荒い口調ではラ行音が巻き舌になりやすい。高齢層では語中のガ行鼻濁音が聞かれるが、中年層以下では衰退している。

子音と対照的に母音は明瞭に発音され、無声化が少ない。例えば「そうです」は「そーですー」のように語尾が伸び、「す」を無声化させる東京の発音に比べて、歯切れが悪い印象を与える。連母音の転訛はエイ→エーを除いて起こらないが、「見えた→めーた」「消える→けーる」のようなイエ→エーや、「蝿→はい」「迎えに行く→むかいにいく」のようなアエ→アイが起こることがある。1拍の日常語は「蚊→かー」「目→めー」のように長音化するが、「忙しいなー→いそがしなー」「関東煮→かんとだき(=おでん)」のように本来長音のものが短くなることもある。ウは円唇後舌狭母音に近く発音される。

その他、イ・ウ段にア・ヤ行音が続く際の「日曜→にっちょ」「好きやねん→すっきゃねん」のような促音+拗音化、他には「洗濯機→せんたっき」、「昨日→きんのー」「小便→しょんべん」「ゴミ箱→ごん箱」のような語中・語尾の撥音化、「何するねん→何すんねん」「電車に乗る→電車ん乗る」のような動詞のラ行音や助詞「に」の撥音化(ダ・ナ行音が続く場合)などが特徴的である。

アクセントは京阪式アクセントであり、大阪市内だけでなく大阪府全域でも地域差がほとんどないが、世代間での違いはかなり大きい(以下例[13])。

高年=アノオトコ アレワ フネノ ナカニ アルト シンジテルミタイヤ(=あの男は、あれは船の中にあると信じているようだ)

中年=アノオトコ アレワ フネノ ナカニ アルト シンジテルミタイヤ

若年=アノオトコ アレワ フネノ ナカニ アルト シンジテルミタイヤ

他、谷崎潤一郎は発音の特徴として以下の例をあげている。東西の婦人の声の相違は、三味線の音色に例を取るのが一番いゝ。私は、長唄の三味線のやうな冴えた音色の器楽が東京に於いて発達したのは誠に偶然でないと思ふ。東京の女の声は、良くも悪くも、あの長唄の三味線の音色であり、又実にあれとよく調和する。キレイと云へばキレイだけれども、幅がなく、厚みがなく、円みがなく、そして何よりも粘りがない。だから会話も精密で、明瞭で、文法的に正確であるが、余情がなく、含蓄がない。大阪の方は、浄瑠璃乃至地唄の三味線のやうで、どんなに調子が甲高くなつても、其の声の裏に必ず潤ひがあり、つやがあり、あたゝか味がある。 ? 谷崎潤一郎「私の見た大阪及び大阪人」[14]
表現「近畿方言#表現」も参照

以下にみられるのが大阪弁の表現の特徴である。一言に「関西弁」とまとめると大阪弁をさされがちだが、京都や神戸方面で通じにくいこともあり、注意を要する。

丁寧体には「です」と「ます」を用いるが、年配層では「です」の代わりに「体言+だす」「体言+でおます」「形容詞連用形ウ音便+おます」を用いる(「おます」単体では「ある」の丁寧語)。丁寧体の後ろに終助詞が接続すると「す」が促音化・撥音化するのも伝統的な大阪弁の特徴である。「だす」「ます」「おます」は「す」が省略されることもある。

例:ここが大阪城です、ここが大阪城だす、ここが大阪城だ、ここが大阪城でおます、ここが大阪城でおま

例:行きます→行きま、行きますねん→行きまんねん、行きますがな→行きまんがな、行きますなあ→行きまんなあ、行きますえ→行きまっせ、行きますか→行きまっか、行きますやろ→行きまっしゃろ


五段活用動詞に否定の助動詞「へん」を接続させる場合、主に「ア段+へん」と「エ段+へん」の2形があるが、大阪弁では「エ段+へん」が優勢である(同様の用法は名古屋弁にも見られる)。「ア段+へん」が優勢な地域(京都神戸など)では不可能を表すのに可能動詞の「エ段+へん」を用いるが、大阪弁では通常の「エ段+へん」との同音衝突を避けるため、可能動詞を使わずに「未然形+れへん」を用いる(近年は京都でも「未然形+れへん」が多用されるようになっている)。ただし「ん」の場合は、「エ段+ん」を通常の否定に用いることはなく、京都などと同じく不可能表現となる。

例:行けへん - 大阪では「行かぬ」、京都では「行けぬ」の意。「行けん」は大阪でも京都でも「行けぬ」の意。

例:行かれへん - 大阪で「行けぬ」の意。京都では「行けへん」だが、最近は京都でも「行かれへん」を用いる者が増えている。

例:膝は笑えへんやろ - 大阪では「膝は笑わないだろう」、京都では「膝は笑えないだろう」の意。

例:なんで決勝に残れへんねん - 大阪では「なぜ決勝に残らないんだ」、京都では「なぜ決勝に残れないんだ」の意[15]


下一段活用動詞に否定の助動詞「へん」を接続させる場合は「エ段+へん」で安定しているが、上一段活用動詞に接続させる場合には個人や世代によって複数の形があり、例えば「見る」の否定形には「めーへん」「みえへん」「みーへん」があり、若年層では「みーひん」という形も多い。カ行変格活用動詞とサ行変格活用動詞の場合は「けーへん」と「せーへん」が優勢で、一部では「こえへん」や「しえへん」もあるが、若年層では「きーひん」「こーへん」や「しーひん」が広まっている。

「もうかりまっか」

「儲かりますか」の転。いかにも金に細かい大阪人らしい表現として喧伝され、大阪弁の代名詞ともいうべき有名なフレーズ。しかし、実際には「もうかりまっか」を用いる大阪商人は殆どおらず、「どう(どない)でっか」「負けてはりまっか」「お忙しいでっか」などが一般的な商人の挨拶だったという。「もうかりまっか」の対として知られている「ぼちぼちでんな」(「ぼちぼちですな」の転)は現在も多用される表現であるが[16]、「もうかりまっか」→「ぼちぼちでんな」という挨拶の組み合わせは菊田一夫の小説内で作られたものであり、近年の大阪でこの遣り取りが模倣されるのは関東から見た大阪弁のイメージを逆輸入した結果に過ぎない。大阪市浪速区生まれの放送作家である新野新は「『阪僑』という言葉は、評論家大宅壮一の造語だが、ぼくの推論として、その流れをくむ週刊ジャーナリズムが、昭和20年代の後半に『大阪人は顔を合わせると『もうかりまっか』とあいさつする』と言い出したのではないだろうか」と推察している[17]


船場言葉

船場言葉(せんばことば)は、大阪市の中心業務地区である船場商家で用いられた言葉。船場言葉は、豊臣秀吉が大阪に築城し、その後、徳川幕府の支配を受けるようになった江戸時代を経て、明治大正昭和中期に至るまでの間に、美しく格式のある大阪商人の言葉として練り上げられ[18]、折り目正しい大阪弁の代表格として意識されていた。大阪弁研究家の前田勇は船場言葉について「大阪弁は庶民的な言語であるというのが通説であるけれども、少なくとも船場言葉にそれは当たらず、船場言葉は、いうべくば貴族的以外の何物でもない。」と評した[19]

江戸時代から近代初期にかけて、船場は商都大坂の中心地として繁栄し、船場言葉は商業社会の共通語として広く用いられた。豊臣秀吉が船場を開発した当初はから強制移住させられた商人が大半を占めていたが、その後は平野商人、伏見商人らが台頭。江戸時代中期には近江商人が船場へ進出した。このような経緯から、船場言葉は各地商人の言葉が混ざり合って成立した。

商いという職業柄、丁寧かつ上品な言葉遣いが求められたため、京言葉(とりわけ御所言葉)の表現を多く取り入れ、独自のまろやかな語感・表現が発達した。一口に船場言葉といっても、話し相手や状況、業種、役職などによって言葉が細かく分かれていた。暖簾を守る船場商人に限っては、経営者(主人、旦那)一族と従業員(奉公人)の独特の呼称を固定して用いた(後述)。

明治以後、中等・高等教育の普及による標準語化(船場言葉の使用層は裕福な家庭が多く、教育熱が高かった)や帝塚山阪神間の宅地開発に伴う船場商人の職住分離化(阪神間モダニズム)で船場言葉は変質していった。

大正時代、大阪へは他県の人がどんどん職を求めて移入してきた。移住者は、この難解な船場言葉を容易になじめず、彼らの影響を受けたのは西横堀川以西の言葉であった。西横堀のことに、阿波座という地域は扱う商品のたちが異なり、大部分の商家は、悠長で優雅な船場言葉を使っていられなかったので、最も単的な、最もスピーディーな商業言葉で売買しなくてはならなかった。地域とともにこのような言葉が四方へ伸びてゆき、その郡部の素朴な土地の言葉が入れ混じった。そのなかで船場言葉は、孤立無援の状態に置かれていた。しかし、第一次世界大戦前後から、船場の人々の生活状態が変わってきた。


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