大阪府第17区
[Wikipedia|▼Menu]

大阪府第17区

行政区域堺市中区西区南区
(2024年1月1日現在)
比例区近畿ブロック
設置年1994年
選出議員馬場伸幸
有権者数32万6570人
1.440 倍(一票の格差鳥取1区との比較)
(総務省・2023年9月1日)
テンプレートを表示

大阪府第17区(おおさかふだい17く)は、日本衆議院議員総選挙における選挙区1994年平成6年)の公職選挙法改正で設置。
区域

2013年平成25年公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]

堺市

中区

西区

南区

1994年平成6年)公職選挙法改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3]

堺市(16区に属しない区域)[4]

中支所管内

泉北ニュータウン東・泉北ニュータウン中・泉北ニュータウン西上神谷美木多浜寺津久野福泉の各出張所管内


歴史

中選挙区制時代の旧5区の一部に相当し、本選挙区の設置時は元民社党委員長である西村栄一を父に持つ西村眞悟が強固な地盤を継承していた。自民党は元大蔵官僚の岡下昌浩が中選挙区時代より3度の出馬でいずれも落選しており、1998年に昌浩が死去して以降はその夫人である岡下信子が跡を継いで出馬。2000年第42回総選挙では元府議会議員の平田多加秋が出馬し、また民主党尾立源幸を擁立したことで与野党とも分裂選挙となったが、自民党公認の岡下信子が乱戦を制して初当選する。一方、1997年末の新進党解散に伴い自由党に所属していた西村は「核武装」発言に対する批判で得票を大幅に減らしたものの、比例近畿ブロック復活当選した。

2003年第43回総選挙では、公示直前に自由党が民主党と合併し両者間の選挙区調整で西村が17区の民主党公認候補となり当選。尾立は参議院へ転出し、翌2004年第20回参院選大阪府選挙区より出馬しトップ当選した。

2005年第44回総選挙では一転して、返り咲きを目指す岡下が僅差で西村を破り西村は比例復活で当選。その後、西村は自身の弁護士法違反事件逮捕起訴され、民主党を除籍処分となり2008年改革クラブへ入党する。これに対し、民主党は大阪3区の元職で弁護士辻恵を17区へ転出させた。

第45回総選挙では、改革クラブが親与党の立場を打ち出しながらも自民党と候補者の一本化に至らないまま西村・岡下信子の共倒れとなって辻が当選した。

第46回総選挙では堺市議会議員だった日本維新の会新人の馬場伸幸が辻・岡下信子らを破り初当選した。

第47回総選挙では馬場が小選挙区で当選し、岡下信子の息子で後継候補となった岡下昌平は比例復活で初当選を果たした。その結果、第46回総選挙までは本選挙区は過去6回の選挙において小選挙区で連続当選した候補者の存在しない選挙区となっていたが、第47回総選挙で馬場が当選したことから、この現象は途絶えることとなった。

第48回総選挙では日本維新の会幹事長に就任し応援演説のため全国行脚の身であった馬場が昌平を破り3選を果たし、第49回総選挙も馬場が圧勝で4選となり、昌平は比例復活もできず議席を失った。

なお、本選挙区は共産党藤田スミも中選挙区時代に地盤としていた地域であり、共産党の候補者が毎回大阪府内の他の選挙区に比べても突出して多く得票する傾向があった。しかし、党全体の退潮傾向に伴い本選挙区においても共産党候補の得票は漸減が続いており、第45回総選挙以降は供託金没収点の10%を下回ることも出てきた。
小選挙区選出議員


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:67 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef