大阪市電気局100形電車
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この項目では、1933年に製造された初代100形電車について説明しています。1957年に1100形として製造され、1975年に100形に改番された2代目の100形電車については「大阪市交通局1100形電車」をご覧ください。

大阪市電気局100形電車
大阪市営地下鉄開業時の100形電車
基本情報
運用者大阪市電気局 →
大阪市交通局
製造所川崎車輌田中車輛
日本車輌製造汽車製造
製造年1933年
製造数10両
運用開始1933年5月20日
廃車1972年
投入先1号線(御堂筋線
主要諸元
軌間1,435 mm
電気方式直流750V(第三軌条方式
車両定員座席36名・立席84名
自重40.3 t
全長17,700 mm
全幅2,890 mm
全高3,650 mm
車体普通鋼、含銅鋼(外板)
台車KS-63
主電動機直流直巻式電動機
東芝製SE-146
主電動機出力170kW(750V) × 2基
駆動方式吊り掛け駆動方式
歯車比21:64=1:3.047
出力340kW / 両
制御方式抵抗制御
制御装置ES-512A
制動装置発電制動併用AMU式空気制動
発電制動併用HSC式電磁直通空気制動(改造後)
クランクハンドルピーコック式手動制動
保安装置打子式ATS
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大阪市電気局100形電車(おおさかしでんききょく100がたでんしゃ)は、大阪市電気局(のちの大阪市交通局)が1933年5月の高速電気軌道1号線(現・御堂筋線)の部分開業に際して製造された大阪市営地下鉄通勤形電車である。
概要

1号線部分開業に備え、神戸川崎車輛で101 - 104、大阪京橋の田中車輌で105・106、名古屋日本車輌製造本店で107・108、東京汽車製造東京支店で109・110の合計10両が製造された。

当時、関西の私鉄各社が競って導入しつつあった大型高速電車の要素技術を巧みに組み合わせて基本設計が実施された。ニューヨーク市地下鉄など欧米の先進的地下鉄の事例にならった各種保安機器等を付加してあり、以後の大阪市営地下鉄における車両設計の基本を確立した。
車体105号車内駅名表示器(印刷によるダミー再現)

窓配置d1D(1)4D(1)3(1)D2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)で側窓は下段固定、上段下降による2段式、運転台側にのみ乗務員扉を設置し、密閉式の片隅運転台を両端に備える両運転台車である。

前面は貫通扉を中央に配する3枚窓の、当時としては一般的なデザインで、当初貫通幌は未装着であった。

車体は湿度の高い地下トンネル内で運用されることを考慮して、防錆効果の高い含銅鋼板を使用し、全て鋲接(リベット接合)で組み立てられていた。防火を目的として床材にはマグネシアセメントを、内装化粧板には塗装鋼板を使用した。また、側扉は軽合金製でその他内装各部にも軽合金を多用し、軽量化に一定の配慮がなされていた。

各部寸法は車体長17m、車体幅2.8m、自重40.3tで、いずれも地下鉄車両として先行した東京地下鉄道1000形を上回る大型車であった。座席はロングシートで、座席下に各種配線の接続部やドアエンジンが搭載されていた[1]。また車内中央には当初琺瑯引きのスタンションポールが立てられ、短距離運転ということで当初は荷棚も設けられていなかった。

車体両端には連結面でホームから乗客が転落するのを防ぐため「安全畳垣」と呼ばれる折りたたみ式の転落防止柵が装着されていた[2]。これはニューヨーク市地下鉄の例にならって採用された装備であるが、同様に採用していた阪和電気鉄道参宮急行電鉄が比較的早い時期に使用を断念して撤去したのに対し、大阪市は本形式を含むU自在弁搭載車全車について、この安全畳垣を廃車まで標準装備のまま[3]としていた。

行先表示は、側面幕板部の受金具に行先表示板を挿して案内する方式であったが、この表示板受金具の脇には列車種別表示板用の受金具も設けられていた。これは当初御堂筋の幅半分を用いて建設される1号線に平行して、残りの幅半分のスペースに主要駅のみ停車の急行線[4]の建設が計画されていたことの名残である。この急行線計画はミニ地下鉄構想時に再度持ち上がったこともあるが、いずれも頓挫している。[5][6]

また、車内櫛桁部には電照式の駅名表示器が設置され、モーター駆動で次の停車駅を表示した。もっとも、これは1935年10月の心斎橋 - 難波間開通に伴う連結運転開始後、故障が相次いだ[7]ことと、連結運転開始後、車内放送設備[8]が追加設置されて次駅案内には特に不自由が無くなったことから、早期に撤去された。

塗装は、新造時は開業前に京都帝国大学武田五一博士に委託して、市電1601形10両を用いて実施された塗装試験の比較調査の結果をふまえ、上半分がやや黄みがかったクリーム色、下半分が水色で、客用扉と屋根が銀鼠色、木製の窓枠が薄茶色となっていたが、戦後は新造車に合わせて上半分がクリーム色で下半分がオレンジに変更された。
主要機器
主電動機

主電動機芝浦製作所製SE-146[9]を各台車の第1、第4軸に吊り掛け式に裝架し、歯数比は3.05、並列接続としていた。

この芝浦SE-146は新京阪鉄道[10]阪和電気鉄道[11]南海鉄道[12]参宮急行電鉄[13]などの関西私鉄各社が1920年代後半より相次いで導入した大型高速電車に採用された200馬力 (150kW) 級主電動機[14]を上回る230馬力級で、同級の芝浦SE-151[15]と並んで第二次世界大戦前の日本で製作された電車用主電動機の最大出力を記録する、記念碑的存在であった。
制御器105号制御器

制御器については、トンネル内での踏面ブレーキ使用による鉄粉飛散や火花の発生を極力抑止すべく、発電ブレーキの常用を前提として計画された。このため、新京阪や阪和で実績があった東洋電機製造製ES-504Aを改良した、ES-512A電動カム軸式自動加速制御器が採用された。

この制御器は直列5段、並列4段、弱め界磁1段、発電制動8段という構成で、発電制動に界磁制御を用いる設計となっており、力行時には弱め界磁を使用できなかったが、回路的には使用可能とする準備が行われていた。


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