大阪府立都島工業高等学校
校舎(大阪市立都島工業高等学校時代、2007年)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度42分35.1秒 東経135度31分33.7秒 / 北緯34.709750度 東経135.526028度 / 34.709750; 135.526028
大阪府立都島工業高等学校(おおさかふりつ みやこじまこうぎょうこうとうがっこう)は、大阪府大阪市都島区に所在する公立工業高等学校。 1907年に市立大阪工業学校として創立し、校名や設置場所の変遷を経たのち、学制改革により大阪市立都島工業高等学校となった。2022年度の大阪府への移管により、大阪府立都島工業高等学校となった。大阪府内の工業高等学校としてはもっとも古い歴史を有する。 機械科、機械電気科、建築科、都市工学科、電気電子工学科、理数工学科の6つの専門学科を設置している。2年次では各学科ごとに設置された英数コースと工業コースに分かれ、さらに工業コースが枝分かれし、それぞれ進学や就職など希望にあった進路を選択することができる。進学対策にも力を入れ、特に理数工学科は物理・化学系の科目を専門科目として位置づけたうえで英語・数学の授業時数を増やし、進学・大学受験にも対応した教育課程を組んでいる。かつては普通科なども設置されていたことがある。 「機械科・機械電気科」および「建築科・都市工学科」は入学試験時には総合募集(くくり募集)となり、1年後期より各学科に分かれる。 それぞれの学科では縦の繋がりが非常に強く、各科ごとに同窓会組織として、また在学中の学生の組織として、機械科白羊会、建築科青甍会、電気電子工学科青嵐会、都市工学科昭土会、理数工学科舎密会、機械電気科萠芽会が存在し、これら各部会の上に総会として学校全体で「浪速工業会」という社団法人の形を取る同窓会が成り立っている。また、各科ごとに名称変更があった場合は以前の学科の同窓会組織を引き継いでいる(例、土木科→都市工学科昭土会)。かつて存在した普通科には普睦会がある。また、同様にかつて存在した家具科同窓会には名前が存在しない。 2013年度にはスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。SSH指定は、工業高等学校としては日本で初めて[1]とされる。 2022年度に大阪府に移管される方針が決まった[2]ことに伴い、定時制課程単独設置校の大阪市立都島第二工業高等学校を統合し、2022年度以降は同校に定時制課程を併設する[注釈 1]。 1907年5月、市立大阪工業学校として大阪市北区北野牛丸町に創立した[3]。学校発祥の地は、現在のJR大阪駅北口付近にあたる。開校当初は、小学校高等科卒業者を入学資格とした4年制の学校で、本科に機械科・建築科を設置した。また小学校尋常科を入学資格とした選科に、機械科・建築科・分析科・家具科を設置した。 1920年には大阪市立工業学校に改称した[3]。この際に、選科制を廃止し専修科(中学校卒業者を対象にした2年制)に改編、電気科を新設、分析科を応用化学科に名称変更などがおこなわれている。 1923年12月には、応用化学科を大阪市立泉尾工業学校(現在の大阪府立泉尾工業高等学校)に移管した。当時の大阪市の方針により、泉尾工業学校の開校に伴い、市立工業学校は機械・電気など物理系を中心にして、臨海部に立地する泉尾工業学校を化学工業系を中心とした学校にする役割分担を図ったことが学科移管の背景にあった[4][5]。 大阪駅の拡張工事のために敷地が立ち退きになったことに伴い、1925年12月に北区(当時)善源寺町の現在地への移転をおこなった。 1926年4月より大阪市立都島工業学校へと改称した。その際に予科および専修科を廃止し、6年制の工業学校となった。 1943年には高等課程として大阪市立都島高等工業学校[注釈 2]を分離し、同校内に併設した[3]。
概要
沿革変遷略図(1908-1949)
旧制工業学校