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「大阪公立大学」とは異なります。
大阪大学
大阪大学会館(2015年5月)
大学設置/創立1931年
学校種別国立
設置者国立大学法人大阪大学
本部所在地大阪府吹田市山田丘1番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度49分7秒 東経135度31分26秒 / 北緯34.81861度 東経135.52389度 / 34.81861; 135.52389
大阪大学(おおさかだいがく、英語: Osaka University[注釈 1])は、日本の大阪府にある国立大学である。略称は阪大(はんだい)。
国内の旧帝国大学7校の1つであり、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されている。
概観豊中キャンパスの正門
大阪大学は、1931年に大阪帝国大学として設立された[2]、国立文理総合大学である。2023年4月現在、11学部・15研究科(うち1研究科は他大学との連合)を擁する。
帝国大学としては比較的新しく、開学当初は医学部と理学部のみで創設された。文理5学部(文学部、法経学部、理学部、医学部、工学部)体制となったのは第二次世界大戦後の1949年のことである。
設立の際に統合した旧大阪医科大学が、江戸時代後期の1838年に緒方洪庵により設立された適塾の流れを汲むことから、大阪大学は適塾を源流とするとしている。また、1724年設立の懐徳堂の蔵書類が、戦後に文系学部に提供されたこともあり、この学問所の流れも汲むものとされる。
設立当初は東京をしのぐ大都市であった大阪に、関西財界や府民の熱意ある活動の末、民間の意思と財源により創設されたことから、市民精神の息づく大学であるとされる。こうした経緯を踏まえ、「地域に生き世界に伸びる(英語: Live Locally, Grow Globally)」をモットーとしている。
かつて大阪大学は、その創設の地である大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であった。1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。
2007年10月1日には大阪外国語大学と統合し、箕面キャンパスに大学院言語文化研究科、世界言語研究センター[注釈 2]、外国語学部を設置。なお、箕面キャンパスは2021年、同じ箕面市内の北大阪急行電鉄箕面船場阪大前駅前に全面移転している[4]。
国立大学法人で外国語学部を設置しているのは、大阪大学のみである[注釈 3]。また1学年あたりの学部学生定員は、2020年度に国立大学で最多の3255人となった(2位は東京大学で3063人)[5](2021年度においても同じ[6])。 (沿革節の主要な出典は公式サイト[7][8]) 大阪大学では、懐徳堂(1724年設立)とも関係があるとしている。懐徳堂は1869年に閉鎖されるが、1910年に懐徳堂記念会が設立された。最後の預人・中井桐園の嫡子・中井天生(中井木菟麻呂)らの尽力で、1916年の重建懐徳堂の設立により再興を果たした。太平洋戦争後の1949年に、懐徳堂記念会が懐徳堂蔵書を大阪大学に寄贈したことで両者の繋がりができた。現在、財団法人懐徳堂記念会事務局は大阪大学文学部内にあり、大阪大学が初期の懐徳堂に関するものも含めて管理している。 1903年、大阪高等医学校が浪華仮病院(1869年設立)を改組して設立された。1919年には府立大阪医科大学に昇格した。この府立大阪医大を中核とした帝国大学設立の動きが起こり、1931年には府立医大を医学部とし、理学部を加えた2学部よりなる「大阪帝国大学」が発足、総合大学への道を歩み出すこととなった。 その一方で、明治期の大阪では、適塾を源流とする医学校のほかに、1896年に設立された大阪工業学校が実業教育を行っており、これが旧制専門学校(高等教育相当)である官立大阪高等工業学校への改組(1901年)を経て、大正期以降の高等教育拡充ブームのなかで、1929年には大阪工業大学に昇格した。 設立間もない大阪帝国大学は、1933年に官立大阪工大を合併して工学部を増設したが、戦時期の発足という事情もあって理系学部中心の帝国大学となった。 1949年、大阪帝大を中心に、旧制高等学校であった府立浪速高等学校・官立大阪高等学校、旧制専門学校であった私立の大阪薬学専門学校の合計3校を包括し、文理5学部よりなる新制大阪大学が新たに発足した。経済学部(1949年法経学部、1953年分離)は戦後設置されたこともあり、近代経済学の研究・教育に特化。マルクス経済学が一定の勢力を維持していた旧帝国大学のなかでは、異色の存在だった。 2004年に国立大学法人化し、2007年10月には大阪外国語大学と統合した。旧国立大で14組目の統合で、旧帝大では2003年の九州大学と九州芸術工科大学に次ぐ2組目。2018年10月、指定国立大学法人に指定される。
沿革
懐徳堂・重建懐徳堂の系譜
総合大学への統合
年表緒方洪庵肖像適塾(大阪市中央区北浜)大阪帝国大学(大阪市北区中之島)
江戸時代
1724年 - 三宅石庵を迎え学問所「懐徳堂」が設立される。
1838年 - 緒方洪庵によって蘭学塾「適塾」が設立される。
明治
1869年 - 大阪府が上本町の大福寺に仮病院と仮医学校を設立、緒方洪庵の子である緒方惟準ら適塾の関係者が設立に参加。
1880年 - 仮病院と仮医学校を大阪府立大阪病院と大阪府立大阪医学校として正式に発足。
1896年 - 大阪工業学校設立。
1901年
5月 - 大阪工業学校を大阪高等工業学校に改称。
6月 - 大阪医学校を大阪府立医学校、大阪府立医学校病院と改称。
1903年9月 - 大阪府立医学校、大阪府立医学校病院を大阪府立高等医学校、大阪府立高等医学校病院と改称。
大正
1915年11月- 大阪府立大阪高等医学校を府立大阪医科大学へ改組(学長佐多愛彦。専門学校令準拠のまま改称、大学令による旧制大学ではない[9])。
1916年 - 塩見理化学研究所が設立される[10]。
1917年3月 - 私立大阪薬学専門学校を設置。
1919年11月 - 府立大阪医科大学を大阪医科大学に改称(大阪府立のまま改称、大学令に準拠の旧制大学となる[9])。
1920年7月 - 私立大阪薬学専門学校を大阪薬学専門学校と改称。
1921年11月 - 旧制大阪高等学校を設置。
1926年3月 - 旧制浪速高等学校を設置。
昭和
1929年4月 - 大阪高等工業学校が大阪工業大学に昇格。
1931年5月 - 大阪医科大学と民間の一研究所であった塩見理化学研究所の双方を母体に、医学部と理学部とからなる大阪帝国大学が大阪市北区に設立される(官立移管されると同時に、帝国大学令に準拠の帝国大学となる)、初代総長長岡半太郎就任。
1933年3月 - 大阪工業大学を吸収して工学部を設置。
1934年9月 - 微生物病研究所を設置。
1939年
5月 - 臨時附属医学専門部を設置。
11月 - 産業科学研究所を設置。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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