大阪偕星学園高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度39分9秒 東経135度31分48.9秒 / 北緯34.65250度 東経135.530250度 / 34.65250; 135.530250
大阪偕星学園高等学校(おおさかかいせいがくえんこうとうがっこう,英: Osaka Kaisei Gakuen High School)は、大阪府大阪市生野区にある私立高等学校。 旧制此花商業学校として1929年に創立。学制改革によって新制商業高等学校として発足したが、その後普通科単科の高等学校に改編され、進学指導やスポーツに力を入れている。生徒一人一人の夢と個性に応じた教育を行うことを謳っている。 男子校として出発したが、1995年に男女共学が実施された。 2011年1月に山本ル 2015年の夏は姫野優也らを擁し、前回大会優勝の大阪桐蔭に準々決勝で勝利。決勝では大体大浪商を破り、第97回全国高等学校野球選手権大会へ甲子園初出場した。大阪桐蔭を破った際は、高校のホームページにアクセスが集中してサーバーダウンする事態となった[3]。 しかし、山本は2021年3月で依願退職する[4]。後に監督在任中の2020年に「Go To トラベル」の給付金を不正受給した詐欺事件を起こしていたことが発覚し、山本や同校野球部元コーチら3人が逮捕された[5]。2022年11月17日、山本が懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を言い渡された[6]。 2022年1月からはPL学園高等学校野球部OBで元プロ野球選手の岩田徹が監督に就く[7]。
概要
沿革
1929年4月1日 - 此花商業学校として、大阪市東淀川区長柄中通3丁目(現在の大阪市北区長柄中)で開校。
1945年
3月 - 日立造船が校舎を買収、同社「大淀工場」として操業開始[1]。
4月1日 - 戦時措置により校名を此花工業学校と改称。
9月1日 - 校舎の戦時転用により、大阪市西区の堀江国民学校(戦災による校区被害のため当時休校中)の仮校舎へ移転。校名を此花商業学校に復す。
1949年
3月22日 - 大阪市生野区北生野町2丁目(現在地)に移転。
4月1日 - 学制改革に伴い此花商業高等学校として設置。
1951年1月 - 旧校舎敷地にあった日立造船大淀工場が、日立ミシン株式会社へ譲渡される[1]。
1960年 - 普通科を新設。
1973年 - 此花学院高等学校に改称。
1991年 - 商業科を募集停止。
1995年 - 一部コースで女子生徒の募集を開始、男女共学化。
2004年 - 全コースで男女共学化を実施。
2011年12月 - 大阪府私立学校審議会、定時制課程の廃止認可[2]。
2013年4月1日 - 校名を大阪偕星学園高等学校に改称。
2016年4月1日 - 法人名を偕星学園に改称。
2018年3月22日 - eラーニング対応型教室を備えた「すばる館」が竣工。
2019年 - 第一体育館が竣工。
硬式野球部
1回戦では、滋賀代表の比叡山高校と対戦。延長戦の末、7対3で勝利。
2回戦では、福岡代表の九州国際大付属と対戦。9対10で敗退。
交通
JR西日本(大阪環状線)
桃谷駅より南西へ約800m
寺田町駅より北東へ約800m
大阪シティバス・近鉄バス「勝山北1丁目」バス停より南へ約200m
著名な出身者
伊部真 - 参議院議員(第9回通常選挙当選、日本社会党)、全日通労働組合中央執行委員長、全国交通運輸労働組合総連合議長、正五位勲三等
鶴田浩二 - 俳優
河内家菊水丸 - 河内音頭家元
坂田利夫 - お笑い芸人、漫才師
ぴっかり高木 - お笑い芸人、DB芸人
彦摩呂 - 俳優、タレント、グルメレポーター
長田融季 - 元漫才師:りあるキッズ
西川悟平 - ピアニスト
たつを - ミュージシャン、タレント、リポーター
土生敦弘 - 競輪選手
佐川翔吾
金城基泰 - 元プロ野球投手:広島、南海、巨人
米崎薫臣 - 元プロ野球内野手:近鉄、阪神
姫野優也 - 元プロ野球投手:北海道日本ハム