大阪中央郵便局
[Wikipedia|▼Menu]

大阪中央郵便局


基本情報
正式名称大阪中央郵便局
前身大阪郵便役所、大阪郵便局
局番号41061
設置者日本郵便株式会社
所在地530-0001
大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル地下1階
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分56秒 東経135度29分47.1秒 / 北緯34.69889度 東経135.496417度 / 34.69889; 135.496417

貯金
店名ゆうちょ銀行 大阪支店
取扱店番号410610

保険
店名かんぽ生命保険 代理店

特記事項
大阪駅前第1ビルの休館日(1月1日?1月3日)は、郵便局窓口およびATMも休業。郵便窓口は21時まで営業。貯金窓口、保険窓口は平日18時まで営業。
テンプレートを表示

大阪中央郵便局(おおさかちゅうおうゆうびんきょく、: OSAKA CENTRAL POST OFFICE)は、大阪府大阪市北区にある郵便局民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
概要

住所:〒530-0001 大阪市北区梅田1丁目3番1号 大阪駅前第1ビル地下1階

前身である「大阪郵便役所」は1871年明治4年)の郵便制度開始と同時に国内3ヶ所に設けられた郵便役所の一つである。

1日の利用者数:約1万人[要出典]

1日の取扱郵便物数:約300万通[要出典]

1日の貯金・保険等の受払金額:約48億円[要出典]

併設施設

ゆうちょ銀行大阪支店(取扱店番号:410610)

近畿2府4県(大阪府、兵庫県京都府奈良県滋賀県和歌山県)に所在する直営店を受け持つ統括店である。


過去の併設施設


大阪中央郵便局共通事務センター - 郵政民営化まで。

大阪北郵便局大阪駅前分室

民営化後の分社化においては、当局の集配業務を郵便事業大阪支店に移管し、2008年に同支店の移転に合わせ当局の施設内には同支店の大阪駅前分室が設置された。2012年10月に郵便事業株式会社と郵便局株式会社の統合により日本郵便株式会社が発足するとともに郵便事業大阪支店は大阪北郵便局となり、当局に併設の郵便事業大阪支店大阪駅前分室も大阪北郵便局に引き継がれたが、2016年7月19日の大阪中央局およびゆうちょ銀行大阪支店の仮店舗への再移転に伴い、2016年7月18日を以て廃室となった[1]


分室

分室はなし。以下は過去に存在した分室である。

北浜東分室 (41061A) - 開設時の名称は逓信局内分室。後、郵政局分室と呼称。
2007年(平成19年)に廃止。代替として無集配普通郵便局、北浜東郵便局 (41291) が設置された。

大阪中央市場内分室 (41061B) - 1992年(平成4年)に廃止。代替として無集配特定郵便局、大阪中央市場内郵便局 (40296) が設置された。

高等裁判所内分室 (41061C) - 開設時の名称は控訴院内分室。2007年(平成19年)に親局の変更が行われ、北浜郵便局 高等裁判所内分室 (41004A) となった。

毎日ビル内分室 (41061E) - 1999年(平成11年)に廃止。代替として、無集配特定郵便局、堂島アバンザ郵便局 (40333) が設置された。

空港内分室 (41061H) - 開設時の名称は飛行場分室。2006年(平成18年)に改称・親局の変更が行われ、豊中郵便局 伊丹空港内分室 (41085A)(後に豊中南郵便局 大阪国際空港内分室 (41773A)、豊中郵便局 大阪国際空港内分室 (41085A) へ再改称・親局変更)となった。

ホテルナニワ分室 - 1952年昭和27年)に廃止。

通信局内分室 - 1969年(昭和44年)に廃止。

大阪駅内分室 - 1978年(昭和53年)に廃止。

旧局舎

設計:
吉田鉄郎 / 逓信省営繕課

施工:清水組(現:清水建設

竣工:1939年(昭和14年)

用途:郵便局

構造:鉄筋コンクリート

規模:6階建

当時の逓信省営繕課の吉田鉄郎による設計で、施工は清水組(現:清水建設)、1939年(昭和14年)竣工。西洋近代建築を脱却した現代建築であるとして、また、逓信建築の代表作品の一つとして、高い評価を得ている。

荘厳なグレーのタイルの外壁、シャープな輪郭、階が高くなるにつれて窓が少なく、階高が低くなる割付けにも独自のモダンな美意識が表されている。

来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが、「伊勢神宮、桂離宮にも通じる合理性・機能性と美しさが融合した、モダニズムの傑作」と、この建物を高く評価した。2003年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれている。
鉄道郵便関連施設

郵便物の輸送に鉄道が広く利用されていた1980年代半ばまでは、隣接する鉄道駅との間で郵便物の受渡しを行うための施設が設けられていた。

北側に隣接する大阪駅との間は地下道で結ばれており、郵袋を積載した運搬台車をエレベーターを介して小荷物・郵便列車の発着するホームとの間で直接往来させることができた[2]。また、西側の梅田貨物駅南構内からは専用側線が局舎裏まで引き込まれており[3]郵便車に直接荷役を行うこともできた[注釈 1]

専用側線は、1982年(昭和57年)11月の梅田貨物駅南構内使用停止[3]までに廃止となり、大阪駅との地下道も、1986年(昭和61年)10月1日の鉄道郵便輸送全廃[4]により使用を終了した。

また、局舎内の5・6階には、大阪鉄道郵便局本局の管理部門が、大阪駅構内には同局の積卸し・中継作業施設や、郵便車に乗務する職員の業務拠点等が設置されていた。大阪鉄道郵便局も、鉄道郵便輸送全廃に伴い、1986年(昭和61年)10月1日付で廃局となった[5]
移転跡地の再開発建設中のJPタワー大阪(2023年3月)詳細は「JPタワー大阪」を参照

老朽化・土地の有効利用という観点から、民営化に際して高層ビルに建て直し、隣接するJR西日本所有のアクティ西ビルと大弘ビルを併せた3施設(約1.3ha)を一体的に開発する計画(梅田3丁目計画(仮称))をしている。JR西日本は手狭な所有地の活用を以前から模索しており、中央郵便局と一体的に開発することにより双方の資産有効活用に繋がるとの意見が合致したためである。

2008年(平成20年)12月5日の計画発表時点では、「地上40階、地下3階、高さ187mの新ビルを2009年(平成21年)に着工、2012年に竣工」であり[6]JPタワー東京中央郵便局)に次ぐ2番目のJP高層ビルとして計画され、高層階は1フロア900坪ほどのオフィスビル、中層階には座席数1700席の劇場、低層階には郵便局商業施設を設ける予定。劇場はオリエンタルランドに賃貸し、運営を任せることで合意されていた(その後オリエンタルランドは計画を撤回)。

なお、貴重な近代建築として保存を求める声が強くあり、日本建築学会が、生田正治日本郵政公社総裁(当時)と麻生太郎総務大臣(当時)、關淳一大阪市長(当時)、西川善文日本郵政社長宛てに3度にわたって「保存要望書」を提出している[7]。これを受けて郵政公社は、局舎の一部を新しいビル内の吹き抜けスペースに移築し保存することとした。

2009年(平成21年)3月10日、日本郵政は、保存を求める声が上がっている当郵便局の建て替え工事の着工を当面、見送る方針を鳩山邦夫総務大臣(当時)に伝えたということが発表された。日本郵政は、以後、文化庁などと計画見直しについて協議する[8]。しかし、2009年(平成21年)6月12日、保存に積極的だった鳩山が総務大臣を辞任したことにより、以後の状況は不明な状況となった(この経緯については東京中央郵便局についての記事も参照のこと)。

2012年(平成24年)3月から旧局舎の取り壊しを開始。6月18日、建築史家・松隈洋や博物館明治村館長・鈴木博之ら建築や建築史の専門家グループが、旧局舎は歴史的に重要な建造物であるとして、文化庁などに対し、重要文化財に指定するよう求め、大阪地裁義務付け訴訟を起こした[9]

その後、同年12月に取り壊しが完了し、正面玄関部分を残した上(建設予定のビルに組み込み予定)で、当面はイベント広場(西梅田スクエア[10])とすることになった。またこのイベント広場の奥側に暫定施設としての郵便局が開設(旧局舎の位置に復帰)することになり、2013年(平成25年)5月から運用を開始したが、郵便局店舗とゆうちょ銀行店舗は2016年7月18日までの営業となり、翌日からは、かつての仮店舗(今回はB1Fに設置)に出戻りとなる(ゆうゆう窓口である大阪北局大阪駅前分室は、これに合わせて廃室されるため、今回の仮店舗にはゆうゆう窓口は設置されない)[1]

西梅田スクエアは当初2013年から3年間の暫定利用の計画だったが、2017年にオープンしたよしもと西梅田劇場の開設期間は2018年8月25日までと予定されている。本格的な跡地利用となる高層化計画は延期を繰り返しており、2017年11月時点では「2019年7月頃着工、2022年1月頃竣工」の予定となっていた[11]

2018年、日本郵政は大阪中央郵便局跡地の再開発に向け、大阪市と協議を再開した。2023年度開業を目指す[12]

2019年12月、日本郵便・JR西日本グループ・大阪ターミナルビル・JTBの4社によるオフィス・商業施設・ホテル・劇場を備えた地上39階 (188m)・地下3階のビルを建設し、2024年春に開業の予定である旨を発表した[13]

2022年3月、入居するホテル(大阪ステーションホテル)はJR西日本のグループ会社であるジェイアール西日本ホテル開発が運営及び同社初のマリオット・インターナショナルのオートグラフコレクションに加盟する予定であることを発表した[14][15]

2023年3月7日、本計画で建設中の建物名称を『JPタワー大阪』とし、その中に展開される商業施設の名称は『KITTE大阪』で、2024年7月にグランドオープンする予定であることが発表された[16]
沿革旧局舎2009年5月から2013年5月まで仮店舗として入居し、2016年7月19日から再入居している大阪駅前第1ビル(中央のビル)2009年5月から2013年5月まで利用の第一次仮店舗2016年7月18日まで局舎跡地内で用いられた暫定店舗

1871年4月20日明治4年3月1日) - 大阪郵便役所として、中之島に開設[17](日本郵便制度の開始)。

1873年(明治6年)- 大阪郵便役所となる[17]

1875年(明治8年)1月1日 - 大阪郵便局(一等)となる。翌日より為替取扱を開始[17]

1877年(明治10年)2月 - 貯金取扱を開始[17]

1885年(明治18年)- 電信取扱を開始[17]

1889年(明治22年)7月16日 - 大阪郵便電信局となる[17]

1903年(明治36年)4月1日 - 大阪郵便電信局を廃し、大阪中央郵便局(二等局)を設置するも、同年12月5日に大阪郵便局に戻す[17]

1910年(明治43年)4月1日 - 大阪中央郵便局(一等局)に改称[17]

1927年昭和2年)1月16日 - 逓信局内分室を設置。

1929年(昭和4年)4月21日 - 控訴院内分室を設置。

1932年(昭和7年)8月1日 - 中央市場内分室を設置[18]

1939年(昭和14年)- 旧局舎竣工

1940年(昭和15年)8月11日 - 大阪市北区中之島(2018年現在の中之島郵便局と同じ位置)から、旧局舎へ移転[19]


1947年(昭和22年)

6月1日 - 控訴院内分室を高等裁判所内分室に改称[20]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef