大阪中之島美術館
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大阪中之島美術館
Nakanoshima Museum of Art, Osaka

施設情報
愛称NAKKA
専門分野近代美術、現代美術
収蔵作品数約6,000点
館長菅谷富夫
事業主体地方独立行政法人大阪市博物館機構
管理運営特別目的会社「株式会社大阪中之島ミュージアム」
延床面積20,012.43平方メートル
開館2022年2月2日
所在地530-0005
大阪府大阪市北区中之島四丁目3番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分32.6秒 東経135度29分29.3秒 / 北緯34.692389度 東経135.491472度 / 34.692389; 135.491472座標: 北緯34度41分32.6秒 東経135度29分29.3秒 / 北緯34.692389度 東経135.491472度 / 34.692389; 135.491472
外部リンクnakka-art.jp
プロジェクト:GLAM
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大阪中之島美術館(おおさかなかのしまびじゅつかん)は、大阪市北区中之島四丁目にある美術館。19世紀後半から21世紀の現代までの近代美術現代美術を収集・保管・展示する。
コレクション・活動

大阪市は、大阪市立美術館にある古代美術・東洋美術コレクションのほかに、19世紀以降の近代美術現代美術のコレクションも形成している。収集方針は以下のとおり定められており、それに沿ったコレクション形成がなされている[1]

佐伯祐三を中心とする近代美術の作品と資料

エコール・ド・パリの作家など


大阪と関わりのある近代現代美術の作品と資料

日本画北野恒富島成園、写真の安井仲治、現代美術の吉原治良具体美術協会の作家など


近代現代美術の代表的作品と資料

アメデオ・モディリアーニコンスタンティン・ブランクーシゲルハルト・リヒターなど


大阪と関わりのある近代・現代デザインの作品と資料

早川良雄の作品や資料など


近代・現代デザインの代表的作品と資料

アーツ・アンド・クラフツ運動アール・ヌーヴォーウィーン工房デ・ステイルバウハウスアルヴァ・アールトの作品など。ここには閉館したサントリーミュージアム天保山が所蔵していたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックアルフォンス・ミュシャなどを含むサントリーポスターコレクションも含まれる。



アメデオ・モディリアーニ
『髪をほどいた横たわる裸婦』(1917年)

佐伯祐三
『郵便配達夫』(1928年)

ウンベルト・ボッチョーニ
『街路の力』(1911年)

大阪中之島美術館は、デザイン作品・資料収集の一環として、大阪に集積する家電企業・住宅建材企業などの工業デザイン製品の「記憶」(黎明期・発展期の家電デザイン関係者のオーラルヒストリー)と「記録」(製品の情報)を蓄積・紹介する「インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト」(IDAP)を推進している[2]。2014年秋に、当時の大阪新美術館建設準備室・パナソニック株式会社京都工芸繊維大学の産学官三者連携事業として始まり、後に他の企業や研究機関との協力関係を築くためにIDAPの推進母体として「インダストリアルデザイン・アーカイブズ協議会」を設置した。IDAPは戦後日本の工業デザインに関する記録や情報を収集しウェブで発信しているほか、シンポジウムなどを開催している。
沿革

1983年、佐伯祐三の絵を多数蒐集したコレクターで、山発産業創業者の山本發次郎の遺族が大阪市に佐伯の作品をはじめ、原勝四郎などの洋画家、白隠ら禅僧の墨蹟、インドネシア更紗などからなるコレクションを一括して寄贈した。これがきっかけとなり、1988年、市制100年を記念して大阪市立近代美術館建設計画が発表され、1989年に5年間で毎年30億円積み立てるという美術品取得基金が設置され[3]、準備室が設置された1990年から本格的な作品購入が始まり[3]、以後コレクションの形成が進んできた。本格的な収集に先立って1989年に19億3000万円で購入したモディリアーニの作品「髪をほどいた横たわる裸婦」は話題となり議論を呼んだ[3]。その後、ジョルジョ・デ・キリコ『福音書的な静物』(4億2800万円)、サルバドール・ダリ『幽霊と幻影』(6億7800万円)、フランク・ステラ『ゲッティ廟(第1ヴァージョン)』(6億3000万円)をはじめ[3]、基金をもとにした購入総額は150億円に上る[3]

山本發次郎コレクションの寄贈に続き、上村松園作品などを収集した実業家田中徳松のコレクション、山本發次郎コレクションの寄贈に触発され「佐伯やモディリアーニという、異国から来てパリで活動した作家の周辺を補完したい」とエコール・ド・パリの作品などを寄贈した画商・高畠良朋のコレクションが大阪市近代美術館準備室のコレクションに加わった。また2010年末に閉館したサントリーミュージアム天保山が保管していたポスターコレクションがサントリーより準備室に寄託された。

コレクションが充実したものの、展示する美術館の建設は進まなかった。当初から大阪市立近代美術館の建設用地は、中之島にある国立国際美術館北隣の大阪大学医学部跡地に絞られていた(阪大医学部の転出による中之島の活力低下を美術館の集客力で補うという意図による)。阪大医学部跡の国有地は160億円で大阪市が購入[4]1998年には近代美術館基本計画委員会が「近代美術館基本計画」の答申を行い、延床面積24,000平方メートルの建物を、敷地面積16,900平方メートルの土地に整備費280億円で建設する計画を発表[5]。しかし、予定地から蔵屋敷跡が発掘されたことに加え、市が財政難に陥り建設費(約280億円)が捻出できず、計画は凍結状態となった。作品購入予算もゼロとなり、2004年(平成16年)からは購入自体が停止した[3]。ただし作品の寄付や寄託はこれ以後も続いた[3]

2004年、出光美術館分館[注釈 1]跡のスペースを「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」という名称で使用し所蔵品の展示を行ってきた。建設予定地だった中之島の土地は時間貸し駐車場となっていたが、2007年(平成19年)新年度予算案に約500万円を調査費として計上し、当初の事業計画を見直した上で約5年ぶりに建設に向けて事業が再開されることとなった。

平松邦夫市長時代の2010年には「近代美術館あり方検討委員会」が設置され、翌2011年には「大阪市立近代美術館整備計画(案)」が発表され[5]、1998年の答申より規模は3分の2に縮小されることになった[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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