大阪モノレール
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この項目では、大阪府でモノレールを運行する会社について説明しています。ファンクバンドについては「オーサカ=モノレール」をご覧ください。

「大阪高速鉄道」はこの項目へ転送されています。

かつて近畿日本鉄道と阪神電気鉄道が共同で設立を企図した同名の未成立企業については「近鉄難波線」をご覧ください。

地下鉄を運営する会社については「大阪市高速電気軌道」をご覧ください。

大阪モノレール株式会社
OSAKA MONORAIL CO.,LTD.
大阪モノレール本社
種類株式会社
本社所在地 日本
565-0826
大阪府吹田市千里万博公園1番8号
(大阪モノレール車両基地)[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度48分22.8秒 東経135度31分38.5秒 / 北緯34.806333度 東経135.527361度 / 34.806333; 135.527361座標: 北緯34度48分22.8秒 東経135度31分38.5秒 / 北緯34.806333度 東経135.527361度 / 34.806333; 135.527361
設立1980年(昭和55年)12月15日[2]
(大阪高速鉄道株式会社)
業種陸運業
法人番号1120901023210
事業内容軌道事業、販売事業、賃貸事業
代表者代表取締役社長 佐藤広章
資本金145億3800万円(2021年3日31日現在)[3]
売上高80億3500万円(2021年3月期)[3]
営業利益△2億6200万円(2021年3月期)[3]
経常利益△4億6700万円(2021年3月期)[3]
純利益△3億4300万円(2021年3月期)[3]
純資産236億2300万円(2021年3日31日現在)[3]
総資産437億3300万円(2021年3日31日現在)[3]
従業員数263人
(2018年3月31日現在[4]
決算期3月31日
主要株主大阪府 65.09%
三井住友銀行 2.67%
りそな銀行 2.67%
三菱UFJ銀行 2.67%
阪急電鉄 2.67%
京阪ホールディングス 2.67%
近鉄グループホールディングス 2.67%
(2019年3月31日現在[5]
主要子会社 ⇒大阪モノレールサービス株式会社
外部リンク ⇒http://www.osaka-monorail.co.jp/
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大阪モノレール株式会社(おおさかモノレール)は、大阪府および兵庫県[注釈 1]大阪モノレール線(本線)および、国際文化公園都市モノレール線(彩都線)の2つの跨座式モノレールの路線を運営している大阪府出資の第三セクター会社である。本社は大阪府吹田市のモノレール車両基地内に所在する[6]

大阪モノレールの路線には、関西大手私鉄では阪急京阪の路線のみが接続しているが、大阪モノレールの株主には路線接続のない近鉄の親会社近鉄グループホールディングスなども含まれている[6]。また、JR西日本の路線とも接続する駅は存在しないが、本線の延伸計画では、JR学研都市線(片町線)や近鉄の奈良線との接続が予定されている。

社章は山口徽章製作所がデザインし、大阪の「O」と放射鉄道(LINE)を環状線(LOOP)で繋ぐ(LINK)といった複数の意味を込めた「L」を組み合わせウルトラマリンブルーの配色としている[7]

1998年に当時の営業距離21.2kmが世界最長のモノレールとしてギネス世界記録に認められ、2007年には28.0kmまで延長されたが、2011年に中国重慶市重慶軌道交通が39.1kmの新路線(重慶軌道交通3号線)を開業したため、世界最長ではなくなっている(現在は世界2位)[注釈 2]
歴史
事業の経緯

大阪都市圏大阪市を中心として発展してきたため一点集中型の都市構造となっており、鉄軌道網についてもその都市構造を反映して放射状に形成整備されてきた経緯がある。都市圏の拡大発展に伴って、都心部では過度の集中による混雑、周辺地域では市街地の拡大による既存鉄道の不足という問題が発生した。このため、都心部の混雑緩和・都市業務地域の分散・周辺都市総合の公共輸送機関サービスの提供・自動車交通抑制に伴う代替交通機関の提供等、府下均衡ある発展を目指す環状鉄軌道の必要性が唱えられた[8]

1966年(昭和41年)8月、1970年(昭和45年)に開催される日本万国博覧会の輸送対策として、都心から放射状に伸びている国鉄(現・JR西日本)・私鉄9路線と接続し、これら沿線からの来場客の利便の向上とともに博覧会終了後も近畿圏整備に中核的機能を果たす鉄道建設の提案がなされた(万博輸送対策に関連する中央環状線鉄道建設の提案・佐伯構想)。当面は府道大阪中央環状線に沿って阪急千里線と国鉄関西本線との間、延長約26.1kmを建設し、将来は堺市ならびに西宮市方面へ延長することが考えられた[8]

1967年(昭和42年)に策定された大阪府の大阪地方計画では、「府下の交通網は従来からの既成市街地を中心として主として放射状に整備されているが、都市整備の観点からも地域開発の観点からも環状路線および周辺地域間の交通路線に早急に整備する必要がある」とされた[8]

1971年(昭和46年)1月の大阪府企画室試案では、「都心部への過度集中を緩和し多核心的な都市構造の形成が必要である。このため東大阪を南北に貫き、北大阪、南大阪を東西で結ぶ「中央環状鉄道」の建設が有力な戦略となる。この環状鉄道には、モノレール等の新しい輸送方式を導入することを検討する。新しい駅周辺の開発により、鉄道の開発先導性を発揮する」とされた[8]
年表大阪モノレール千里中央ビル(旧本社所在地)

1980年(昭和55年)12月15日:大阪高速鉄道株式会社として設立[2]

1982年(昭和57年)11月17日:大阪モノレール線 南茨木 - 千里中央間着工[9]

1990年(平成2年)6月1日:大阪モノレール線 南茨木 - 千里中央間が開業[2]

1991年(平成3年)7月25日:大阪モノレール線 南茨木 - 門真市間の工事の起工式が行われる[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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