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日本の政治家大野木秀次郎おおのぎ ひでじろう
生年月日1895年11月25日
出生地 日本 京都府宇治郡山科村
(現京都府京都市山科区)
没年月日 (1966-03-04) 1966年3月4日(70歳没)
死没地 日本 京都府京都市上京区 京都府立医科大学附属病院
出身校立命館大学経済科中退
前職洛東織物工場社長
所属政党(日本自由党→)
(自由党→)
自由民主党
称号従三位
勲一等瑞宝章
国務大臣
内閣第5次吉田内閣
在任期間1953年5月21日 - 1954年12月10日
国務大臣
内閣第3次吉田第3次改造内閣
在任期間1952年9月2日 - 1952年10月30日
参議院議員
選挙区京都府選挙区
当選回数4回
在任期間1947年5月3日 - 1966年3月4日
貴族院議員
在任期間1946年 - 1947年5月2日
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大野木 秀次郎(おおのぎ ひでじろう、1895年11月25日 - 1966年3月4日)は、日本の政治家。 京都府宇治郡山科村(現京都府京都市山科区)生まれ。大野木繁太郎の次男。清和中学校(現立命館高等学校)を経て[1]、立命館大学経済科中退。 洛東織物工場社長を経て、1946年貴族院多額納税者議員に当選。翌1947年には第1回参議院議員通常選挙京都府選挙区に日本自由党より出馬し当選。以後通算当選4回。在任中は、サンフランシスコ講和条約の首席全権代理、参議院自由党議員会長、自民党京都府議連初代会長(連続4期)などを務めた他、第3次吉田内閣第3次改造内閣および第5次吉田内閣で国務大臣を務めるなど国政の要職を歴任した。 実業界では京都商工クラブ会長、大野木製作所社長、洛東産業社長、和信産業社長を務めた他、寺社関係において鞍馬寺、知恩院、泉涌寺、妙心寺の総代として活躍。また、母校の立命館大学や、京都薬科大学で理事職にあったほか、京都外国語大学では理事長を務めるなど教育界においても幅広い活躍をみせた。 1966年3月4日、京都市上京区の京都府立医科大学附属病院で現職のまま死去、66歳[2]。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈、従三位に叙されるに叙される[3]。 大野木が1936年にに京都市山科区に建てた自宅は、現在「京都洛東迎賓館」となっている。
来歴
脚注^ “<懐かしの立命館>小林祝之助の生涯 ―異国の大空に翔けた夢― 前編 。。立命館あの日あの時 。立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) 。立命館大学
^ 第51回国会 参議院 本会議 第15号 昭和41年3月11日
^ 『官報』第11769号16-17頁 昭和41年3月8日号
外部リンク
⇒京都洛東迎賓館
議会
先代
国務大臣(無初任)
1952年
1953年 - 1954年次代
表
話
編
歴
京都府選挙区選出参議院議員(1947年 - )
第1回
(定数4)
波多野林一
蟹江邦彦
3年議員
大野木秀次郎
奥主一郎
偶数回
定数2
第2回
大野木秀次郎
大山郁夫↓
小西英雄↑
第4回
藤田藤太郎
大野木秀次郎
第6回
大野木秀次郎↓
藤田藤太郎
林田悠紀夫↑
第8回
林田悠紀夫
河田賢治
第10回
林田悠紀夫↓
河田賢治
上田稔↑
第12回