大野剣友会
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2016年2月)

大野剣友会(おおの けんゆうかい)は、日本の演劇殺陣集団。

柔道一直線』や仮面ライダーシリーズなどのテレビ番組で、アクションやスタント、スーツアクターを務めた。
概要

1964年殺陣師の大野幸太郎が設立[1][2]。大野は劇団ひまわり出身で、殺陣師の大内龍生[注釈 1]門下だったが、大内剣友会では若手へ仕事が回ってこなかったことから独立した[3]。大野の自宅敷地に2階建ての事務所を備えた道場と、殺陣スタッフのためのアパートを設置し、殺陣・演劇を教える一大殺陣集団として1970年代に活躍した。

テレビ番組『柔道一直線』(TBS)のアクションを担当したことをきっかけに、『仮面ライダー』(毎日放送)をはじめとする東映のテレビ特撮作品のヒーローや怪人のスーツアクター、戦闘員を含む殺陣全般を数多く務めるようになる[4][1]

もともと演劇集団であり、俳優志望のメンバーも多く、担当作品では顔出し出演や怪人の声なども担当していた[1]

東映の実写ヒーロー作品が激減した1978年には、円谷プロダクションの『恐竜戦隊コセイドン』や創英舎の『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』(共に東京12チャンネル〈現:テレビ東京〉)など、他社作品に参加する。前者では岡田勝がゴドメス帝王のアクションを演じ、後者では撮影現場の下請制作も引き受けるなどの活躍をみせるとともに、主人公のレッドタイガーを中屋敷哲也が演じている[注釈 2]1980年に放映された『ウルトラマン80』(TBS)では、赤坂順一らがスーツアクターとしてアクションを演じた。
沿革

1964年昭和39年)、大野幸太郎が設立[1][5]

1968年(昭和43年)、テレビ時代劇『日本剣客伝』の殺陣を担当[1]

1969年(昭和44年)、東映のテレビドラマ『柔道一直線』のアクション担当[2][6]

1971年(昭和46年)、『仮面ライダー』で殺陣を担当。

以後、数多くの変身ヒーロー番組のアクションを担当する。同年、『仮面ライダー』の大ヒットに伴い、後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)などでの「仮面ライダーショー」を行う[7][8]


1980年(昭和55年)、大野が代表から退いて会長となり、殺陣師の岡田勝が代表となる[2][9]

1985年(昭和60年)、有限会社「大野剣友会アクションスタジオ」となる[2][9]

以後、各種メディアや舞台、アトラクションで殺陣を担当し、現在に至る。


2009年平成21年)10月30日、大野が急性胆嚢炎で逝去[10](76歳没)。

エピソード

『仮面ライダー』で、『柔道一直線』とは全く違う素顔の見えない仮面劇アクションを要求された大野は、若い会員たちに次の規律を定め、鉄則として守らせた。
平山亨は大野のこの「鉄の規律」が、古巣東映京都でのスターに対する教えと同じものであり、当時でも昔話になったと思っていた世界が剣友会にあったことを知って感動したと語っている[11]
たとえ吹替えでも、仮面ライダーに入らせてもらえることを最高の名誉と思え

仮面ライダーを着させてもらえたものは、人の見ているところで煙草を吸ったり、寝そべったり、立ち小便などをしてはならない。それは主役であることの誇りを傷つける行為である

脱いだ面を、地面に置くなど軽率に扱ってはならない。主役には必ず付き添いがつき、脱いだ面も靴も上座に安置せよ。面、靴といえども、我々全員が飯を食わせていただくスターさんであるからである


大野幸太郎は、テレビで『仮面ライダー』を見る際に自分の息子の側にアイスクリームを置いて、その時の息子の仕草からどの場面で子供が喜ぶかを研究した。結果、アクションシーンで息子は身を乗り出してテレビに熱中していたが、ドラマの場面ではアイスを食べていた。そのことから大野はドラマの冒頭とクライマックスにアクションを入れれば子供が夢中になることを学んだと述べている[12]

メンバー

岡田勝

殺陣師 - 現・大野剣友会代表


石澤幸子(いしざわ さちこ)

薄田宙也(うすだ ちゅうや)

佑磨(ゆうま)

過去のメンバー

名義は在籍時のもの。表記・記載順は『大野剣友会伝 ヒーローアクションを生んだ達人たち』(風塵社、1999年)の「大野剣友会歴代メンバー紹介」に基づく。
創始者
大野幸太郎(おおの こうたろう)
1933年6月6日[3][2][5] - 2009年10月30日[2]東京都杉並区出身[3][2][5]。時代劇好きであったことから、高校生の時に殺陣師として高名であった大内竜生に弟子入りする[3][2][13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:244 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef