おおの まりな
大野 まりな
江古田マーキーにて
2019年6月
プロフィール
愛称りなりん[1]
性別女性
出身地 日本・広島県[2]呉市[3]
生年月日 (1972-04-05) 1972年4月5日(52歳)
血液型O型[2]
身長158 cm[2]
職業声優、歌手、音響監督
事務所Honey Rush
著名な家族emari+(娘)
声優活動
活動期間1995年 -
ジャンルゲーム
音楽活動
活動名義大野まりな
活動期間1999年 - 2019年
ジャンルゲームソング、アイドル歌謡、萌えソング
職種歌手
レーベル ⇒CANDYPOP LABEL
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大野 まりな(おおの まりな、1972年4月5日[4] - )は、日本の女性声優、元歌手、音響監督。Honey Rush所属。2020年より「まりな りな」に改名して、2022年12月9日に旧芸名の「大野 まりな」に戻した[5]。青二プロダクション、TABプロダクション、アトリエピーチ[注 1]に所属していた。 5歳までは東京に住んでいたが、父親をなくし、母の実家である広島へ引っ越しをした[6]。幼い頃から琴の修業を積むなど音楽性を育んでいくなかで「歌を歌いたい」という夢を強く抱くようになり、元々祖母が芸能志望であった夢を果たせなかったこともあって、母親には反対されたものの、祖母の夢を叶えるため」と、14歳で自ら様々なコンテストに応募するようになった[7]。1988年にテレビ東京の『ミス・エクボ堂コンテスト』でグランプリとなり[8]、同番組レギュラーを務めながら、アイドル雑誌の音楽祭などでも次々と最優秀賞を受賞。さらに、翌1989年10月、広島での『海と島の博覧会・美少女コンテスト』で優勝し、これにより本格的に芸能活動に入ることを決め、上京し芸能事務所に所属する[9][10][11][注 2]。しかし、度々デビューの話が潰れたことで移籍をし、乙女塾一期生松本裕美 、モモコクラブ桃組2902番片山裕美などとしてTVなどに出演しながら歌手を目指すこととなる[13]。乙女塾の最中には大賀埜々・佐藤愛子とともにribbonとしてデビューする話もあったが、母子家庭であった大野と大賀は、親元を離れて一人で生活するのが困難であったため、涙を飲んであきらめざるを得なかった[注 3][14]。 当時の時代状況として、大野が活動を始めた1980年代後半はすでにアイドル歌謡が斜陽となっており、特に1990年代に入ると本格的にアイドル冬の時代を迎え歌手活動を始めることは困難になっていた。一方で、宮沢りえの様な絶大な人気を誇るアイドルがヘアヌード写真集を出してヌード表現に対する社会の評価を変え、女性解放的姿勢からも賞賛される状況であったこともあり[15]、歌手活動に至るための「ステップとして」ヌードも含めたグラビア活動を行うことを決心する。家族へ迷惑がかかることから母親に土下座して許可を取り、1993年、野村誠一の撮影でスコラでデビュー、麻生ひろみとなった[注 4][17]。モデルとしての活動は、アイドル性を保持したまま、その一番美しい時にヌードまで見せるもので、専門誌ではヌードアイドル(ヌードル)とも呼ばれ高い評価を受ける[19][20][注 5]。
経歴