大里
町丁
御所神社 (安徳天皇の柳の御所比定地)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度54分14.42秒 東経130度55分59.95秒 / 北緯33.9040056度 東経130.9333194度 / 33.9040056; 130.9333194
国 日本
都道府県 福岡県
市町村 北九州市
区門司区
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号800-0014
市外局番093
ナンバープレート北九州
※座標は門司駅正面
大里(だいり)は、福岡県北九州市門司区の地名および地域名。門司区の南西部に位置する。かつては内裏(だいり)であったが、享保年間(1716年?1736年)に大里に変更された。 旧豊前国。旧小倉藩。JR門司駅(1891年開業時の駅名は「大里駅」)周辺の市街地を指す。関門海峡に面し、背後には戸ノ上山
概要
なお、1908年(明治41年)12月1日から1923年(大正12年)2月1日までの間、企救郡大里町が存在した。
門司往還で長崎街道の小倉常盤橋に繋がる九州最北端の宿場町として古くから繁栄した。長崎に向かう日本二十六聖人が、対岸の唐戸から上陸。
1903年(明治36年)に鈴木商店の基幹工場の一つ、大里製糖所(現・関門製糖)[1] が設立されたことを皮切りに、1911年(明治44年)に鈴木商店の大里製粉所(現・日本製粉)[2] や九州電線(現・古河電工)、1912年(明治45年)に帝国麦酒(現・サッポロビール)、1914年(大正3年)に大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー株式会社門司工場)、1917年(大正6年)に株式会社神戸製鋼所門司工場(現・神鋼メタルプロダクツ)などが設立され、大里は明治・大正期以降、鈴木商店系企業を核に、日本を代表する工場集積地の一つとして繁栄した。 内裏(現・大里)という地名は、1183年(寿永2年)、この地に安徳天皇の御所(柳の御所)があったことに由来する。現在御所神社があるあたり[3] が、柳の御所比定地になっている。享保の頃、この地に海賊が出没し、内裏の海に血を流すのは恐れ多いとして大里に変更された[4]。1902年(明治35年)、明治天皇の九州行幸のさい、御所神社の社殿が明治天皇の休憩場所に使われた。安徳天皇の慰霊が目的だったとされる。
地名の由来
歴史門司駅 (旧・大里駅)門司赤煉瓦プレイス(旧・帝国麦酒)
1891年(明治24年)4月1日 - 九州鉄道(初代)により大里駅(現・門司駅)開業。
1903年 (明治36年) - 大里製糖所(現・関門製糖)が設立。
1911年(明治44年)6月5日 - 九州電気軌道北九州線(西鉄北九州線)開通。