大道芸人
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大道芸の様子(ジャグリング

大道芸(だいどうげい)は、路上や街頭、または仮設の掛け小屋(ヒラキ (芸能)も参照のこと)などで行われるさまざまな芸能の総称[1]。路上パフォーマンス(ろじょうパフォーマンス)、またはストリートパフォーマンスとも呼ばれる。路上での演奏ライブ、ストリートライブとは異なるが、一般的な総称としてストリートパフォーマンスと呼ばれることもある。

大道芸人は、路上で歌、口上、踊り、軽業、楽器の演奏などを披露し生計を立てている[2]。歴史的には投げ銭を取ることで生計を立てたが、現代の日本のように主催者などから出演料をもらいイベント等で芸を披露する場合もある。目次

1 西洋における大道芸

2 日本における大道芸

2.1 歴史

2.2 再評価


3 主要な大道芸

4 ギャラリー

5 脚注

6 関連項目

西洋における大道芸

西洋の都市では路上で物品を販売する商人たちが街に来た合図として独特の口上を披露すること(ストリート・クライ)が行われていた[2]

1481年のウィリアム・キャクストン(William Caxton)の『世界の鏡』の中にある木版の挿絵にはバラッド・シンガーの姿が描かれている[2]。また、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の『冬物語』に登場するオートリカスも行商人であるが人びとの関心をひきつけるため芸能を供している[2]

アメリカではストリートダンスバスケなどを路上で行うのが日常的であったのでそこからブレイクダンスやミニバスケなども発祥した。

イギリスでは路上、公園など公共の場で、芸をする人をバスカーと呼び、特にロンドン地下鉄駅構内で演奏する人々が有名(大道芸をバスク、芸を行なうこと自体をバスキングと言う)。基本的にバスクは禁止なのであるが、長年の慣習などで、駅員や警察官は見てみぬふりをしていた。しかし演奏場所の取り合いなど細かいトラブルが頻発し、2003年よりバスカーへのライセンス交付を決定。ライセンス未保持者は演奏できなくなり、演奏場所も予約制となった[3]
日本における大道芸 『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690年)頃刊行)の挿図より「放下」(右)と「住吉踊り」(左) 放下師は路上で皿回しをしている。
歴史

大道芸そのものは日本でも古くからあり、室町時代絵巻にも大道芸人が描かれている。その形態は、古代の宗教表現に、中世唱門師の芸や、中国由来の散楽仏教などが混じり合ったものであった[4] 江戸時代の大道芸のスター、早竹虎吉の得意技のひとつ。早竹の一座は欧米でも公演した。

江戸時代には、浅草の見世物や手品(てづま)、新潟地方の瞽女(ごぜ)、津軽地方のボサマ、その他放浪芸など、日本でも盛んに演じられていた。しかし、多くの場合宗教的なものに結びつけられるか、あるいは乞食芸として蔑まれる傾向にあった。身分としては最下層ではあったが、大道芸そのものは人気のある演芸であった。江戸では、乞胸と呼ばれる大道芸を専門に行なう組織もあり、現代のジャグリングと同様の曲芸や奇術などが独自の発達を見せた。江戸幕府は身分の秩序にはうるさかったが、芸の内容には口出ししなかったため、大道芸は豊かに発展した[4]

開国とともに日本の大道芸は海外でも知られる存在となり、一般人の海外渡航が許されると、早竹虎吉をはじめ、多くの大道芸人が海を渡った[5][6]。独特な芸風は大いに受け、日本の芸が海外のジャグリングやマジック、アクロバットなどに影響を与えることもあれば、海外の芸が日本に紹介されることも増えていった。江戸幕府と対称的に、明治政府は身分制度を解体した代わりに、芸の内容にまで踏み込む統制・管理を行ない、悪風俗として多数の大道芸を禁止した。職を失った大道芸人は生活に困窮するようになり、これによって日本の大道芸は一気に衰退していった[4]
再評価

戦後、欧米の大道芸が入ってくるに従いショーの内容も派手に華やかになり、アートとしての側面やエンターテインメント性の高さが再認識されてきた。


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