この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月)
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆
をお願いします。(2020年5月)大迫 貞清(おおさこ さだきよ、1825年6月22日(文政8年5月7日) - 1896年(明治29年)4月27日[1])は、幕末の薩摩藩士、明治の官僚・政治家。元老院議官、貴族院議員、子爵。 薩摩国鹿児島城下平之町に薩摩藩士・山之内立幹の四男として生まれ、大迫貞邦の養子となる。万延元年(1860年)から京都警備に従事。戊辰戦争では、二番遊撃隊隊長、そして東山道先鋒総督本営付として従軍した。 明治に入り薩摩藩の藩政改革に参政、権大参事として取り組む。明治5年(1872年)に陸軍少佐に任官し、中佐まで進み第1経営部司令官に就任。1874年(明治7年)1月に静岡県令に転じ、以後、文官として歩んだ。 1883年(明治16年)12月、警視総監に就任し、1885年(明治18年)12月、元老院議官を兼務した。1886年(明治19年)4月、初代の沖縄県知事(官選)となる。1887年(明治20年)4月に沖縄県知事を退任し、元老院議官に再任された。同年5月24日、戊辰戦争の功により子爵を叙爵した[2]。 1890年 (明治23年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され死去するまで在任した[1]。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる[3]。1892年 (明治25年)11月、鹿児島県知事に就任し、1894年 (明治27年)1月に退任した。同年2月1日に再び錦鶏間祗候に任ぜられる[4]。墓所は青山霊園(1ロ16-29)。
経歴
栄典
位階
1886年(明治19年)10月28日 - 従四位[5]
1889年(明治22年)11月5日 - 従三位[6]
1896年(明治29年)4月25日 - 正三位[7]
勲章等
1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[8]
1896年(明治29年)4月26日 - 勲二等瑞宝章[7]
親族
長男 大迫貞武(官僚・東宮侍従)
脚注^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』39頁。
^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
^ 『官報』第3176号、明治27年2月2日。
^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
^ 『官報』第1911号「叙任及辞令」1889年11月9日。
^ a b 『官報』第3846号「叙任及辞令」1896年4月28日。