大豆戸町
町丁
大豆戸町の街並み
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分44秒 東経139度37分48秒 / 北緯35.5121度 東経139.6299度 / 35.5121; 139.6299
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区港北区
人口情報(2024年(令和6年)4月30日現在[1])
人口14,451 人
世帯数7,354 世帯
面積([2])
0.818 km²
人口密度17666.26 人/km²
設置日1927年(昭和2年)4月1日
郵便番号222-0032[3]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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大豆戸町(まめどちょう)は、日本の神奈川県横浜市港北区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施区域[5]。 町内は菊名七丁目に分断されており、東西に飛び地となっている。 両飛び地の間と南側で菊名に接している。東部の東側では師岡町と鶴見区上の宮に、両飛び地の北側で大倉山に接している。西部の西側では北新横浜と新横浜に、南側で篠原町と篠原北に接している。 このほか、地形由来の「真間処」(ままど、くぼんだ場所の意)に「豆」の字を当てたとする説もある[7]。 文字の上では難読ではないが、「大豆」を「まめ」と読むため、馴染みがないと正しく読むことができない。この読み方は当地だけではなく、日本全国に見られる。
地理
字
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}堀上(ほりあげ)
堀上台(ほりあげだい)
安山(やすやま)
羽黒(はぐろ)
塚田(つかだ)
道念前(どうねんまえ)
下土浮(しもどぶ)
堤根(つつみね)
大西(おおにし)
川端(かわばた)
会下谷(えげやと)
桜田(さくらだ)
八反野(はちたんの)
宮狩(みやかり)[2]
地名の由来
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行されたのに伴い、江戸期の大豆戸村は橘樹郡大綱村の大字「大豆戸」となった[8]。
1927年(昭和2年)4月1日 - 大綱村が横浜市に編入され、横浜市大豆戸町となる[9]。
1927年(昭和2年)10月1日 - 区制施行により神奈川区が発足し、横浜市神奈川区大豆戸町となる[10]。
1939年(昭和14年)4月1日 - 港北区の新設に伴い、横浜市港北区大豆戸町となる[11]。
1969年(昭和44年)4月1日 - 行政区の再編に伴い、港北区が再設置され改めて港北区大豆戸町となる[12]。
1971年(昭和46年)7月5日 - 住居表示の実施に伴い、大豆戸町の一部を篠原北二丁目に編入、篠原町の一部を大豆戸町に編入[13]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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