大豆島
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大豆島
まめじま
日本
地方中部地方甲信越地方
都道府県長野県
自治体長野市
旧自治体大豆島村
面積4.83km²
総人口12,631人(住民基本台帳、2023年3月1日現在)
人口密度2,615.11人/km²
長野市役所大豆島支所
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所在地〒381-0022
長野県長野市大字大豆島1054-1
リンク大豆島支所公式ページ
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大豆島(まめじま)は、長野県長野市東部郊外の地域。千曲川犀川に面しており、田畑と住宅地が混在する。
【最狭義】大字大豆島の範囲。

【狭義】1.に、大字大豆島から住居表示実施などで分かれた大豆島西沖・松岡一・二丁目を加えた範囲。1879年明治12年)末時点の上水内郡大豆島村域に相当。

【広義】2.に大字風間を加えた範囲。1951年昭和26年)4月時点の上水内郡大豆島村域に相当。長野市役所大豆島支所管内の範囲。本項で解説

地域内の人口は、3.の範囲(長野市役所大豆島支所管内)は5,338世帯 12,631人、2.の範囲は3,702世帯 8,563人(令和5年3月1日現在)[1]

本項では、かつて概ね同区域に所在した上水内郡大豆島村(まめじまむら)についても述べる。

地名の「大豆島」の由来は、犀川の河原を大河原と称し、漁師が小屋を造って住みつき、漁業の合間に大豆をつくったところ、とてもよくできたので、大豆島と言い慣わしたことにあるという。それがついには村名になった(『町村誌』より)。「大豆島村」の初見は、1602年慶長7年)の森忠政検地帳である[2]
概要

地域東端を千曲川、南端を犀川が流れ、地区東部で合流する。地域南部から東部にかけて長野県道372号三才大豆島中御所線東外環状線)、中央部に長野県道34号長野菅平線が通過する。周囲は以下の地域と接する。

古牧地区朝陽地区
芹田地区朝陽地区
若穂地区
   大豆島地区   

芹田地区芹田地区若穂地区
千曲川(左)・犀川合流点。写真右が大豆島地区

千曲川と犀川の合流点に位置する当地区は、地名の由来通り「大豆を2まけば222升とれた」という言われるほど肥沃な地で[3]農業や養蚕が盛んであった。一方古くから千曲川・犀川による浸食を多く受けた地であり、以前は地域の中央部を犀川、北部を裾花川が横切っていたと考えられる[4]。旧大豆島村が1879年明治12年)の郡区町村編制法施行まで水内郡ではなく犀川対岸の更級郡に属していたのも、河川の流路が移り変わってきた経緯による。

現在でも田畑が多く残るが、長野市街地までバス・車で20分程度という立地によりベッドタウンとしても発展。大豆島東団地のほか、区画整理が為された松岡なども宅地化が進んでいる。また、近年東外環状線沿いにはロードサイド店舗やレジャー施設が進出するようになった。犀川・千曲川沿いには工場が多く立地するほか、清掃工場産廃処理場や下水処理場などの処理施設も集中しており、一部住民から反発の声も上がっている[5]

当地域は長野市内では数少ない、夏(旧盆)に成人式を行う地域の一つである。また、祭りに際して歌い踊られる「大豆島甚句」は、かつて善光寺平一帯に伝わっていた甚句江戸時代の歌詞を、唯一完全な形で唄い継いでいるものである。
人口

以下の1868年?1995年までは『長野市誌 第8巻』[6]に、2000年?は住民基本台帳の1月1日時点でのデータ[1]に基づく、長野市役所大豆島支所管内およびそれに相当する地域の人口である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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