本項では、1920年4月26日に米国科学アカデミーで開かれた討論会について記述する。この討論会はその後大論争(The Great Debate)と呼ばれるようになった。シャプレー・カーチス論争ともよばれる。
討論会では天文学者のハーロー・シャプレーとヒーバー・ダウスト・カーチスが宇宙の大きさについて講演した。シャプレーは、我々のいる銀河系の直径は約30万光年で、当時発見されていた渦巻星雲はこの銀河系の内部に存在すると主張した。これに対してカーチスは、銀河系の直径は約3万光年で、渦巻星雲は我々の銀河系の外に存在すると主張した。 我々の住むこの宇宙の大きさを初めて測定し、発表したのは、天文学者ウィリアム・ハーシェルだった[1]。ハーシェルは、星は宇宙空間内に一様に分布し、望遠鏡を使えばすべての星を見ることができるという仮定のもとで夜空の星を観測し、1785年に宇宙の全体図を発表した[2]。ハーシェルの考えた宇宙は円盤型で、直径が約6000光年、厚さが最大で1100光年だった[3]。 19世紀、フーゴ・フォン・ゼーリガーは、星の明るさが一等級暗くなると地球から見える星の数はどのくらい増加するかを調べることで、星の空間密度を求め、宇宙は扁平な形をしていることを定量的に導いた[4]。ヤコブス・カプタインはこのゼーリガーの研究を発展させ、自らが導いた平均視差の公式などから星の空間密度分布を求めた。カプタインの研究内容は1901年に出版され、詳細な解析結果は1922年に発表された[5]。カプタインの考えた宇宙モデルはカプタイン宇宙(カプタインモデル)と呼ばれる。カプタイン宇宙は回転楕円体で、長軸の長さは16キロパーセク(約52,000光年)、太陽は宇宙の中心近くに位置していた[6]。 アメリカのリック天文台に勤めていた天文学者ヒーバー・ダウスト・カーチスも、カプタインと同程度のスケールの宇宙を考えていた。さらにカーチスは、星雲について着目した。当時、星雲についてはアンドロメダ星雲(現在でいうアンドロメダ銀河)などの存在が知られていたが、これらの星雲がいかなるもので、地球からどの程度離れているか、詳しいことは分かっていなかった。カーチスはリック天文台のクロスリー望遠鏡
背景
カーチスが観測とデータ収集を続けているそのさなかの1917年、ウィルソン山天文台のジョージ・ウィリス・リッチーは、NGC 6946で新星を発見した。この新星は、そのころ考えられていた新星爆発時の明るさと比べて非常に暗かった。この発見をきっかけに、カーチスら天文学者たちは、過去に撮影した写真と現在の写真を比較することで、星雲内での新星探しに力を入れ始めた[11]。その結果、渦巻星雲で新星が多数発見された。そしてその多くは明るさが暗く、他の場所で見つかっていた新星よりも平均で十等級暗いことが分かった[11][12]。このことからカーチスは、星雲内の新星がこれほど暗く見えるということは、星雲がそれだけ地球から離れているからだという結論に達した[13][14]。ケフェイド変光星の一例であるケフェウス座δ星の光度曲線。見かけの明るさ(視等級)の周期が長いほど、絶対光度(その星の本当の明るさ)が大きい。
一方そのころ、ウィルソン山天文台のハーロー・シャプレーも宇宙の大きさを知ろうとしており、特に球状星団の研究を進めていた。シャプレーが注目したのは、ヘンリエッタ・スワン・リービットが発見した、ケフェイド変光星の光度と変光周期との関係だった。リービットの観測によれば、ケフェイド変光星は変光周期が長いほど絶対光度は大きい。そのため、この関係を利用すれば変光周期から絶対光度を求められるので、絶対光度と見た目の光度の差から、その変光星までの距離が求められる。シャプレーはこの方法を使って球状星団内にあるケフェイド変光星の距離を測定し、そのいくつかはカプタイン宇宙の外側にあることを導いた[15]。さらにシャプレーは、球状星団の数は場所によってばらつきがあり、いて座の方向に集中していることを確かめた[15]。このことからシャプレーは、銀河系の大きさはカプタインの考える宇宙よりもはるかに大きく、直径は30万光年ほどあり、中心はいて座の方角で、太陽は銀河系の中心から離れたところにあると発表した[16][17]。そして球状星団は銀河系の中にあり、銀河系の中心のまわりに球対称に存在していると考えた[15]。