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大覚(だいかく、1297年(永仁5年)- 1364年5月5日(貞治3年4月3日))は、南北朝時代の日蓮宗の僧。名は妙実。幼名は月光丸。 近衛経忠の子、あるいは後醍醐天皇の皇子と言われ、初めは真言宗の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、大覚寺の地位を捨てて弟子となった。1342年(康永元年)妙顕寺2世となった。1358年(延文3年)後光厳天皇の命により、雨乞いの祈祷を行い効験が現れた。この功績により、日蓮に大菩薩の号、日朗に菩薩の号、日像に菩薩の号を賜わり、大覚は大僧正に任じられた。その後、大覚は真言宗の福輪寺・良遊と法論して論破し、その寺を改宗させた。これを聞いた松田元喬 この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2020年1月)
略歴
関連寺院
仏住山蓮昌寺(岡山市北区)
明光山妙勝寺(岡山市北区)多田頼貞の家臣が館を寺に改めた。天正10年(1582年)能勢頼次が一時落ち延びたという。
海雲山妙立寺
龍雲山佛乗寺(岡山県倉敷市)文和元年(1352年)真言宗から大覚が改宗した。
龍雲山法福寺 元和年間仏乗寺より分立。
圓明山法華寺(岡山県笠岡市)円明山真言寺を延文元年(1356年)大覚が真言宗から改宗した。
大覚山妙乗寺(岡山県笠岡市)暦応5年(1341年)大覚が開山。
春日山乗福寺(岡山県笠岡市)正平15年(1360年)大覚が開山。
光応山圓融寺(岡山県小田郡矢掛町) . 興国9年(1348年)大覚が開山。
岸本山覚林寺(岡山県井原市)暦応4年(1340年)大覚が開山。
光積山妙昭寺(岡山県井原市)昭和17年(1942年)、鳴石山妙光寺と定長山妙積寺とが合併、現寺号へ改めた。元は大覚開基の寺院。
榮昌山妙泉寺(岡山県井原市)延文3年(1358年)大覚が開山。
妙法山蓮華寺(岡山県井原市)2世は高松稲荷山妙教寺を開基の日円。
金昌山妙善寺(岡山県井原市)康安5年(1365年)大覚が開山。
永潤山長泉寺(岡山県井原市)貞治元年(1362年)大覚が開山。
漆原山圓信寺(岡山県井原市)胎蔵寺を文和3年(1354年)大覚が改宗した。
高原山妙福寺(岡山県井原市)清滝山円妙寺を文和3年(1354年)大覚が真言宗から改宗した。
長命山長遠寺 (岡山県高梁市)文亀元年(1501年)大覚が開山。
大覚山法華寺(岡山県倉敷市)延元元年(1336年)大覚が建立。明治20年(1887年)現在地へ移転した。
大覚山慈源寺(岡山県倉敷市)建武2年(1335年)大覚が建立した。
妙見山本住寺(岡山県倉敷市)建武2年(1335年)大覚が建立した。
大覚寺(岡山県総社市軽部)大覚が法華堂を建立するが寛文年間までに廃寺となり、明治30年(1897年)頃、瀬川是吉が宝塔再建を計画、大正10年に再建した。
清音妙蓮寺(岡山県総社市)大覚開基の法華寺が前身、岡山藩の寛文法難で破却され、元禄年間、信者が小堂を建立し密かに祭祀、位牌堂と称す。昭和30年(1955年)位牌堂を妙蓮寺と改めた。
具足山妙本寺(岡山県加賀郡吉備中央町) 日像が開山、2世に大覚が就任した。
素南山巨福寺(岡山県高梁市) . 文和4年(1355年)大覚巡錫の地。
正木山妙源寺(岡山県真庭市) . 貞治2年(1363年)建立。
随縁山本覚寺(岡山県真庭市) 延文5年(1360年)大覚大僧正来錫。
金原山妙圓寺(岡山県真庭市) . 延文5年(1360年)大覚大僧正来錫。